60年ぶりの同窓会への参加 「教養A3組」の同期生の集い

「田園都市A3昼食会」に集まったA,U,O,K,K1,S,S1,H,H1,Y,Y1, の11氏 (2023.10.20)

この10月20日 S35年京大農学部に入学した、宇治分校に始まる「教養時代A3組」の同窓会に卒業後初めて参加した。きっかけは、農学部会誌「四明会だより」に、東急田園都市線の「たまプラーザ駅」周辺に居住していたA3組の数名が2007年に「田園都市A3昼食会」を催した事による。

その後、回を重ねる内に何時しか10名を超えるようになり、大学本部より、会の名称も「関東39四明会」と承認された、 との報告があったからである。

S35入学 教養A3組全員 於:吉田分校

それで、これまで交友のあったS君を介して、同会に参加したいと告げると、永久幹事のY君から熱烈な誘いがあり、参加することに決めた。

当日は4時起床、6:03の空港直結バスで千歳に、7:30 ANA050便で羽田に、9:30田園都市バス路線で「たまプラーザ駅」に直行となり11:00の開宴に間に合った。

会場には幹事のY君が独りおり、暫くすると三々五々に集まってくる。会場は、プラーザ東急百貨店5Fの中国明菜「陳麻姿豆腐」、参集者11名。

残念なことに、出席予定のY2君が昨夜亡くなったという。60年ぶりの再会では、つい最近まで交流のあったS君以外は、顔と名前が一致しない。 11:00会場に入り、各自の飲み物を掲げY2君に献杯して会がスタート。

「日本へのオオカミ導入のための一考察」の載った6月発行の「国民と森林」152号

私は初参加なので、現職時代の林務の仕事、退職後のアライグマ捕獲、町内会、道民の森のボランティアなどを紹介した。続いて各位の自己紹介で食事会が始まる。だが、大半が細君ともども病院、薬局通いの合間のゴルフの話題程度。将に老いた心境の吐露と言ったところ。参加各位は、もう何回も会を重ね、話題も尽きていたのだろうか? 独りK君のみ1日2万歩をキープする超健康の保持者だ。

私はこの機会を借り、私の仕事の集大成というべき「国民と森林」第152号に投稿した論文のコピーを各位に紹介した。

1時間半ほどで昼食会場を出る。そのまま、2Fの喫茶店に有志数名が集まり1時間ほど懇談し、来年5月10日の同会場での再会を期して散会となる。

私の大きな目的は、ここに果たされた。

それからは独り電車で田園都市線からJR横浜線、八王子から中央線に乗り換え、甲府で下車。その先はバスにより1時間かけて、生まれ故郷近くのビジネスホテルに午後7時到着する。長い1日が無事終了。入浴してぐっすり眠る。

翌朝9時親戚の迎えで郷里に向かう。早朝、ホテルの窓からの光景に心を奪われる。

故郷の山野は美しい。裏山の櫛形山は山頂部から紅葉が始まり、朝日に染まる。

郷里では、先ず、先祖の墓を詣で、亡き友の墓に線香を手向け、叔母の四十九日のお参りをすませる。

これが、今回の第2の目的であった。第3の目的は、郷里の田畑など自分名義の財産を、親戚へ譲渡するために地元農業委員会の意向、承諾を得ることであった。

残念ながらこれは成果無しで、再度の挑戦となった。

これらを済ますと、これまで見たことも、足を踏み入れたことない自家山林の現地確認に出かけた。親戚の同伴で行けるところまで車で行き、その先は沢を登り詰め、更に急斜面をよじ登り、約3町歩ほどの所有地最大の天然林を目指した。

近くには神社もあった。駒ケ岳神社といい、森に完全覆われ外からは見えない。

目的地に行き着くと、そこはアカマツの大木の散在する見事な広葉樹林であった。

ミズナラ、コナラ、サクラ、カエデなど本数は少ないながらも通直な直径30cm程の太さの立木が見られ大満足であった。

10/24  8:40 滞在していた親戚からJR韮崎駅まで車で送ってもらい、成田空港経由で帰路につく。

21:00 無事帰宅。これで同窓会の旅は全て終了した。

ではまた!