〇 ギザの3大ピラミッド、エジプト考古学博物館
5/17 3:30 モーニングコール、 4:00 トランクを各自の船室前に出し、4:30 4泊したRoyal Elite号を下船。バスでアスワン空港へ。何度も荷物検査の末、やっと7:00アスワンをTake offし、カイロへ。8:25 デルタの緑とこげ茶色の陰鬱そうな住宅ビルを越え、MS-081便はアスワン空港に到着。9時過ぎ、専用バスでギザの3大ピラミッド・エリアに到着。夢にまで見たギザの町!!ピラミッド周辺は、世界中の観光客で活気づいている。
1 ピラミッド、スフィンクス
- ピラミッドの風景。巨大な石の塔が4700年もの間崩れずに現在に残る。これだけでも不思議、謎だらけのピラミッド。
- 屋根型の穴が本来の入り口。その右下の小さな穴が盗掘の入り口で、今も観光に使われている。
- ピラミッドの風景。大きな石灰岩を積み重ねた、クフ王のピラミッド。石の厚さは1mほどある。
長い列に加わり順番を待ち、ギザの最大ピラミッド、クフ王(在位BC2579~2556)のピラミッドにとりつく。熱射の中、連日のハードな行程で疲れた足を引きずり大きな石の階段を上る。
- 2tもの巨大な石300万個も積み上げて作った、クフ王の最大ピラミッド。
- ピラミッドの風景。様々な場所でピラミッドにふれあい、直に感触を楽しんでいる観光客。
- ピラミッド内部に侵入する入口の階段。左がピラミッドを構成する石
- 順番を待つピラミッド入り口。地上より10m位高い。
AD820年 ピラミッド探検のため侵入したイスラムのカリフ、「アル・マムーン」の盗掘入口から入り、暗く狭い洞窟を辿り、上昇通路に至りそれを登る。狭く低い通路で、天井に頭を何度も打ち付けながら、やっと広い空間の大回廊そして、王の間(玄室)に至る。そこには、フタのない石棺が1つあり、暗い照明の中で石棺をバックに記念写真を撮る。5分ほどして、ピラミッドの心臓部から帰路(同じ道を対面交通)を辿り、外に出る。汗でびしょびしょ、腰は痛く、足は重い。
- ピラミッドの内部風景。アル・マムーンの盗掘時入り口にて。ここから内部に入る。
- ピラミッド内部の風景。上昇路に至る。手すりと階段がついている。
- ピラミッドの内部風景。天井が9mと高い大回廊。何の為か未だに謎という。
- ピラミッドの風景。王の間で、石棺を前に記念撮影。
- ピラミッドの内部の風景。同じ途を帰る。狭い中での対面交通。
- ピラミッドの内部風景。手すりを頼りに傾斜通路を降りる。
- ピラミッドの風景。入り口から出て、周辺の風景を望む。
外の青い空、新鮮の空気で生き返える。高いピラミッド出口から外を眺めるとピラミッドエリアには続々と観光客が訪れごった返し、遠くにはラクダに乗った観光客も見える。
- ピラミッドの風景。ピラミッドの周辺風景。
- ピラミッドの風景。観光客の案内をするラクダ便。
- ピラミッドの風景。3大ピラミッドの雄姿。右から、クフ王、カフラー王、メンカウラー王。その周辺に人や車、ラクダが群がっている。
- ピラミッドの風景。右から、クフ王、カフラー王、メンカウラー王。
- ピラミッドの風景。スフィンクスはカフラ-王のピラミッドよりはるかに古いという。
- ピラミッドの風景。ナポレオンが遠征時に”4000年の歴史が諸君を見下している”と言って兵を鼓舞した。
再び、バスに乗り、3大ピラミッドの撮影のポイントを何カ所か廻る。各自、思い思いのピラミッドを記録に残している。NO.2のカフラー王(クフ王の息子)のピラミッドとその前にあるライオンの体に人間の顔を持つ、高さ20m長さ60mの「スフィンクス」を見る。スフィンクスは1つの岩盤石灰岩層を掘り抜いたもので、ナポレオンが1798エジプト遠征の際には頭だけが地上に出ており、その後、19世紀中に何度も砂を取り除いて現在の姿になったという。
- ピラミッドの風景。9個のピラミッドが見えるレストラン”9ピラミッズ”で昼食。左はメンカウラー王。
- ピラミッドの風景。”9ピラミッズ”で昼食。右手奥がクフ王のピラミッド。
- ピラミッドの風景。ご飯もピラミッド形。御客も満足の様子。
- ピラミッドの風景。”9ピラミッズ”レストランで昼食。マンゴーのジュース、そしてビール。
これらを見た後、三大ピラミッドに王妃など小ピラミッドを加え、全部で9個のピラミッドが臨めるレストラン「ナインピラミッズ」に入る。そこで、まずマンゴー・ジュースで渇いたノドを潤し、それからゆっくり昼食となる。レストランの大テント内は満員、大盛況である。 その後市内観光をし、3時頃「エジプト考古学博物館」に到着する。
2 エジプト考古学博物館、ツタンカーメンの秘宝 他
- エジプト考古学博物館。仏人考古学者マリエットが設立。
- 考古学博物館の内部風景。2Fから1F ホールの展示場を望む。
- 1F ホールのミイラの展示場。
- 1F ホールのミイラの展示場。
この博物館はフランスの考古学者O・マリエットが1836にカイロ近郊に設立し、その後1902この地に移転したものである。1階は、ピラミッドの建設された古王国時代からエジプトとが再統一された中王国時代、ツタンカーメンやラメセス2世の新王国時代、それから末期王国時代までの美術の傑作が時代別に展示されている。2階はテーマ別に分かれており、半分近くがツタンカーメン王の財宝が占めている。その他、ファラオや貴族のミイラを集めたミイラ室、パヒルス、生活風景を収めて展示室がある。この建物1つでエジプト3000年の歴史が解る、という。
- 副葬品の数々。22kの金の板を打ち出して作ったマスク。額にはコプラとハゲワシの2神を飾る。
- 副葬品の数々。王が狩猟や戦争の際に着用した銅鎧(儀式用の装飾品)。
- 副葬品の数々。ツタンカーメンの等身像。入り口に立ち王墓を守る。黒は豊穣と再生への願い。
- 博物館の秘宝。ナルメル王のパレット(表)。上・下エジプトを統一したナルメ王の業績が描かれている。
- 最古のネチェリケト王の像。 最初にピラミッド築いた王。在位BC2665-2645年頃。
- 村長の像と言われ、エジプト最古の木造実大像。実は最高位の神官で、今回の解説員によく似る。
その中でも特別な、黄金のマスクのある2階3番室に入る。このツアーの目玉とも言える、黄金マスク前での記念撮影。警備員が一切のカメラ撮影を厳しくチェックしている。
- 副葬品の数々。玉座の背もたれ、王妃から香油を受けるツタンカーメン王。
- 副葬品の数々。棺の飾り。2輪戦車に乗り外国の敵を倒し、危険な猛獣と戦うツタンカーメン王。
- 副葬品の数々。皮、樹皮、金の寄木細工の手法で作った木製サンダル。
- 副葬品の数々。黄金のサンダル。ミイラの足の上に置かれていた。
- 宝庫の入り口に置かれた、「アヌビス」像つき厨子。死者の守護神により宝庫を守っていた。
- 旅行の目玉、ツタンカーメン王の黄金のマスクを背景に記念写真。
ツタンカーメン王の副葬品は殆どここに展示されている。黄金の人型棺の展示では、人型棺は3つ有り、一番内側はマスクと同じ黄金製で110kg、残りの2つは金箔を貼った木製である。一番外側の棺には、ミイラが収められ、既に紹介したように現在も王家の墓に眠っている。ツタンカーメンの玉座、首飾り、胸飾り、サンダル、等身大の立像、ミイラ作りをする神官や死者の守り神アヌビス神、死者の内臓をおさめたカノプス容器にその厨子etc。
疲れて立って居れないほど、やっとの思いで博物館を出る。バスで6:30頃、今晩の宿 Ritz carlton ホテルの12Fに落ち着く。この部屋は広く豪華で、12Fから見る景色は、行き交う車のライトがナイル川の水面に輝き、そしてゆらいでいた。7:00夕食。真っ黒な鳥の焼き肉。地元ビールで気力、体力を持ち直し、入浴して就寝。最後の夜は、疲れと旅の満足感で一杯でした。
これで今回の「悠久のエジプト8日間」の旅も無事終了しました。
では、また!!
参考:ピラミッドは何のために造られたか?
古代ギリシャの歴史家ヘロドトスは、王墓説を説く、しかし、全部で100程あるピラミッドでミイラは1つも発見されていない。他にも、倉庫説、天文台、日時計説等多々ある。20世紀になって、有力な「公共事業説」が生まれた。ナイル川の氾濫期に農民に仕事を提供するための工事である。でも決定的な証拠が無く、今後の研究に待つ、という。
参考図書
古代エジプト なるほど辞典 吉村作治 監修 実業之日本社 2001
古代エジプトを知る辞典 吉村作治 監修 東京堂出版 2005
ゼロからわかる古代エジプト 近藤二郎 Gakkenn 2013
古代エジプト解剖図鑑 近藤二郎 株式会社エクスナレッジ 2020
古代エジプト文明 レンツォ・ロッシ 松本弥 訳 PHP 1999
ギザの大ピラミッド ジョン・ピエール・コルデアーニ 山田美名 訳 創元社2008