悠久のエジプト(EGYPT)8日間の旅(4)

カルナック神殿の塔門に比べられるホルス神殿の塔門。高さ36m幅137m。建設はBC2世紀、プトレマイオス朝時代。

エドフにて  エスナの水門、ホルス神殿、コム・オンボ神殿

5/14 「王家の谷」を後にし、クルーズ船に戻り昼食を摂る。そして、エドフに向かう。途中「エスナの水門」を通過する。これも今回の旅のささやかなイベントである。

1 エスナの水門

エスナの水門とは、ナイル川の「滝」であったところを避け、高さ8mほどの水位の調整して運行するために建設された水門である。上流と下流の水位差を水門で調整し、20分位で船がスムーズに通過することを目的としている。

いわば、スエズ運河の超ミニバンである。この通過予定は、午後7時頃であった。しかし、夕食後にも姿は見えず、10、12時と待つが、いっこうに水門らしきものは見えてこない。 結局、真夜中迄に持ち越され、ベッドでウト、ウトしていた午前1時頃通過していた。その間、クルーズ船に横付けし、曳航されながらの地場産シャツ行商人の船客への呼び声「ハロー!、ハロー!」が耳に残り、寝過ごす。エスナは綿製品の有名な産地である。船は明け方、エドフ港に無事着いていた。

2 ホルス神殿

5/15  朝8:00下船し、10分ほどバスに乗り、ファラオの守護神を奉る「ホルス神殿」の観光に出かける。ホルス神殿は、その規模の壮大さ、保存の良さが抜群で、高さ36m幅137mの塔門は、カルナック神殿のアメン神に次ぐといわれる。 ホルス神は、ファラオの化身とされる。この神は、ハヤブサの頭部と人間の身体を持つ姿で描かれている。着工はBC237、完成はBC105。130年の歳月をかけて建設されたという。この神殿を約1時間半見て回る。

2 コム・オンボ神殿

再び、船に戻り、1時間ほど象形文字(ヒエログリフ)の学習会。それから昼食。船はゆっくり南下し、7時頃コム.オンボにつく予定。それまでは自由時間。7時、夜のコム・オンボ神殿にバスで向かう。この神殿は、変わった構造を持ち、ホルス神とワニを神とする「セベク神」のために建てられ、塔門や列柱室の入口、至聖所が2つ有り全てが2重構造となっている。建物の右手には、ナイロメーターがあるが、閉鎖されて中に入れない。

ところで、古代エジプト人は、現世で死んでも、来世で永遠に生きることを考えた。人には、バー、カー、アクの3つの霊魂があり、バーは肉体が死んでも残る不滅なもの、即ち魂。カーは性格や生命力が集まったもの、即ち聖霊。この2つは合体しアクとなり、死者が来世で暮らすことが可能となる。肉体の保存は、バーが生き続けるために必要であった。遺体が腐ったり、破壊されると、戻るべき場所を見失い、本当の意味で死んでしまう。しかし、乾燥と高温の沙漠では、死体を埋めると腐敗する前に水分が抜け、自然状態でもミイラになった。これに倣い、ミイラ作りは、人が死ぬと、先ず、鼻から脳髄を抜き取り、左脇腹を切り、内臓を取り出す。古代エジプト人は、脳でなく心臓が人間の知恵の源であり最も重要と考え、そのため、心臓だけを遺体に残した。遺体は脱水のため70日間天然ソーダ水につけた。その後亜麻の包帯で巻き、防腐剤を塗り、棺に収めた。エジプトだけで3000年位の間に数百万体(一説には1億体?)ものミイラが作られたという。変わったモノでは、長さ7~8mものワニのミイラが多数残されており、鳥や獣のミイラもある。

このようなミイラ作りとは別に、古代エジプトでは、既に外科手術が行われていたという。手術に使われた医療器具が、このコム・オンボ遺跡にレリーフとして残されている。

意外なことに、古代エジプトでは割礼が広く行われていたという。若者の通過儀礼と、神官の職務上の儀礼として。 ライトアップされたコム・オンボ神殿を1時間ほど観光し、再び船に戻り、夕食をとり船泊となる。あすは、アブシンベル神殿。

では、また!!

注:ナイロメーター(水位計) ナイル川の沿岸には、夏にエチオピア高原に降る雨が水と肥沃な土をもたらす。ナイルは6-9月に増水し、その水位は、毎年の農作物収穫高に深く結びつく。そのため、人々は水位計測のために各地にナイロメーターを刻み、水位を記録した。

参考図書

古代エジプト なるほど辞典    吉村作治 監修 実業之日本社   2001

古代エジプトを知る辞典   吉村作治 監修    東京堂出版  2005

ゼロからわかる古代エジプト  近藤二郎 Gakkenn 2013

古代エジプト解剖図鑑  近藤二郎 株式会社エクスナレッジ 2020

古代エジプト文明 レンツォ・ロッシ 松本弥 訳   PHP 1999