ニュージーランドに育種樹種ラジアータパインを見る

2001年10月、今から16年前、国土緑化推進機構主催、林野庁後援の「国民参加の森づくり」指導者研修会に参加しました。

       写真左2011地震被災前の教会 右2001年研修生一同↑

1⃣ ニュージーランドにラジアータ・パインを見る      2010.11.5

10月15日 NZのクライストチャーチ へ

成田発JL090便は予定より早い10時間半の飛行の後,ニュージーランド(以下、NZ)のクライストチャーチ(CC)郊外の空港に無事着陸しました。機窓からは、なだらかな緑の絨毯を敷き詰めたような草原がはるか彼方の末だ雪をいただく山脈へと連なっているのが望めました。緑なす草原には樹木が線状に植栽され、耕地防風林を形成し、あたかも日高山脈を背景に十勝平野を何倍にも拡げたような景観でした。
空港の通関では、数名の団員が知らずに持ち込んだインスタント食品が狂牛病に神経をとがらせている係官に見つかり、トランクをひっくり返されての厳重なチェックを受けました。でも事なきを得、予定時間内には無事入国。早速JTB専用バスでの市内見学となりました。
サクラ、ツツジ、シャクナゲ、キリ、その他黄色、赤などの見知らぬ原色の花々が今まさに満開。色とりどりの花と新緑一杯のガ-デンシティー内をゆっくりとバスは通り抜け、異国の花の咲き乱れる古い大きな庭園のあるレストランで昼食となりました。(写真)

16日13:30 第一の訪問先であるカンタベリー大学林学部の講堂に集合。
ここではNZの森林・林業の現状、天然林・人工林の抱える課題、国民の森林に対する関心、森林害獣、小さな政府を目指すNZ行革の大学への影響などが、学部長をはじめ次々に入れ替わるスタッフよりパソコンを駆使してのブレゼンテーションが行われました。 そしてコ-ヒ-ブレイク。
NZに人の往み始める約千年前は全土が森林に披われ、周囲15mにも及ぶ巨木「カウリ」が鬱蒼と生えていたという。800年ほど前、ミクロネシアからマオリ族が流れ着き、その後,蘭人のタスマンがNZを発見し、英国人が入植を始めるまでは森林率は80%、英国が植民地とし経営し始めた19世紀中頃は50%、そして現在では29%。天然林は2害で原生林はわずかに5千haという。木材加工教室(写真)で乾燥、防腐剤注入などの説明を受けた後で質疑応答。

かくして第1日目はNZのラジアータパイン林業に至るガイダンスで終了しました。3時間の時差に加えて、1時間のサマータイムにより平常より4時間も長い充実した、眠たい長い1日でありました。

17日 カーター・ボルト・ハーベイ社を視察
9:10~10:00 室内説明
この会社はもともとも森林を所有していたが、1980年代半ばから国有林の売り払いに応じ、国有林の購入を始め南島の森林を殆ど所有し、CC市周辺だけでも3万8千haを所有する。うち、3万3千haが人工林で、ラジアータが8割、ダグラスファーが1割で、オセアニア地区最大の木材木製品関連会社であり、年600万m3の木材を生産する百年の歴史を持つという。そして世界最大のパルプ会社インターナショナル・バルブがこの会社の51‰の株を持つ。
10:00~11:00 社有休見学
22年生で主伐のラジアータ人工林の伐採跡地、植付け地、除草、除代(3~5年生)枝打ち(5~7年生)(写真)、間伐、主伐(フェラバンチヤーなど)地などをわずかな移動で全工程の見学が可能でありました。1伐区が数百haの広がりを持ち区画線ははるか彼方に霞んでいました(写真  小さな苗 枝打ち 大伐採地)。

これは紛れもない栽培林業です。当社では年1,400haの造林を行っており、1haに600本、一鍬植えの人力植栽で一人一日のノルマは1,500本。主伐時ha当たり本数は320本、蓄積は5~600m3、平均直径40cmになるという。
話には聞いていたが現実に見て呆然(写真→)。
遅い昼は近くのワイナリーで豪華な昼食。ここにも日本人のウエイトレス。
午後市内見学の後、昨日訪問したガンタベリー大学までタクシーをとばし25$。ラジアータパインのハンドブックと環境関連の図書を購入。帰りは市バスで2$。その後、運動靴に履き替え、市の中心部にあるハグレー公園をジョギング。公園内には一際高くセコイアの巨木数本そびえ立つ。根元径は2mに及び、地際近くから直径4~50cmもの技が数本横に伸びている。それに跨りしばし休息。アメリカ西海岸では3千年ともいわれる大きさにわずか100からに150年で到達するとは全くの驚きだ。シヤクナケ、ツバキ、ツツジも日本の2倍もの大きさだ。こうなると、美しいというより毒々しくいやらしく、化け物だ。

18日 クライストチャーチより北に約千kmの北島のロトルアに移動
南島ではサザンアルプスが背梁をなし、離陸した空港のはるか南西後方には3,753mのMt.クックを頂点とする3,000m級の山々なみが残雪に輝き、日増しに濃くなる緑が雪線まで迫っている。一行を乗せたNZ5876使は、北へ北へと列島を縦断して行く。
残雪がわずかに残る眼下の山々は頂上付近まで牧草で披われ、そこを源とする急峻な谷や河川沿いのわずか斜面に自然木がしがみつくように残っており、はるか下方の山麓にはラジアータの人工林が幾何学状に整然と植えられている。
クック海峡を一飛すると、雲の下に現れてきた北島は起伏に富み、山と湖が複雑に入り組み、森林が山岳地帯を黒々と披っている。北島の中央にあるNZ最大のタウポ湖は丸いカルデラ湖でこれを越えると温泉の街ロトルアである。ロトルアに近づくにつれ湖が多くなり、緑は増し日射しは強くなる。ロトルア湖の中島には椰子の木のような大木もみられ、桟橋には遊覧用の水上飛行機が停泊している。春から夏へと急激に変わるような光景が機窓からも伺える.
11:50 ロトルアに到着。 眺めの良い丘の上でロトルア湖や市街地を望みながら昼食。ここでは日本人の修学旅行一行とかち合い、レストランはパ二ック状態。急遽、ダウンタウンの中華レストランに場を変え、お陰で久々に東洋的な食事にありつけ一行いたくご満悦。

13:00  Forest Reserch Institute

室内での行革の話題にうんざりしたスタッフは、コ-ヒ-ブレイクもそこそこ、野外へと我らを連れ出す。ここでラジアータの育種開発の説明を受ける。構内の試験林にはNZを北半球に裏返した地図が掲げられている。ラジアータの種子は地球の反対側の同一緯度のカリフオルニアのモントレイほか2地区とメキシコ側の2島の5地区から1850年代に輸入されたという(写真)。しかし、今日のラジアータは当時のものとは遺伝子的にかなり異なるという。なぜなら、1960年以前は、母樹を選ばず、いずれの立木からも本登りや伐倒により種子を集め、実生苗を育てていた.しかし、優良木の選抜が優良苗を導くことが判明し、1985年以降は優れた両親からの優れた種子が十分確保でき、優れた苗木が苗畑で生産できるようになったという。さらに、自然交雑を避けるため、選び抜かれた母樹の雌花を透明な袋で遮断し、最良の精英樹の花粉を注入し受粉させるシステムを開発し、20年で平均樹高24~30mという優れた樹木を開発したのである。試験林には、当時世界中から輸入された樹本に混じって日本のスギやカラマツも立派に成林しており、先に見た何種類かのセコイアやダグラスファーをはじめ世界中のモミやトウヒ属の黒い森もあり、試験場の裏山はさながら世界の樹木の品評会場のようでした。
このように、国の最主要な産業に林業を発展させた試験場も、今では行革の嵐に揺さぶられ、国有林はもとより林業試験場までもが民聞に売却され、この試験場もフレッチャー・チャレンジ・ホレスト社の傘下に入り、利益を上げるのに一生懸命であるという。
長年NZの林業及び熱帯林の保護、再生に貢献があり、今はリタイアして顧問として私達一行にユーモアたっぷりで解説してくれたロビンさんも、当今の世相には一寸寂しそうでした。

19日 野外での林業視察

 

午前中は、昨日の試験場の所属するホレスト社のラジアータ人工林の実際に輸出用に伐採している山岳地の現場視察と伐採跡地での植栽体験でした(写真)。
起伏のある造林地で、大型機械が搬出道を開設し伐到集材していました。
土質は砂岩で山岳地から運ばれた堆積層でした。作業種は皆伐でその面積規模は地形さえ良ければ規制なく、数百haに及ぶとのことです。

集材後は除草剤をまき、植生をコントロールした後、次の冬に植え付け、苗木は6cmの挿穂を約一年苗畑で直挿しで養生したクローン苗、植栽後苗木周辺1m四方に除草のために薬剤散布(写真左上)、その後ヘリで肥料を蒔き、さらに管理しやすい草本類の種を蒔く。これで下刈り等保育は一切なし。植栽後22~26年後には5~600立方の木材を収穫する。目の前に拡がる今年植栽した造林地には苗本の緑以外には緑は殆どなく、1昨年前に植えた林地にはヘリから蒔いた草本の柔らかな緑がスロープに張り付けたように成長し始めていました。
このように勇んで見に行ったNZのラジアータ林業も、その素晴らしい成長の割には何かすっきりしないものが残りました。
ホテルに帰り、晩餐はマオリ族の伝統芸能とワインと石焼き料理に魅了されラジアータの旅は終わりました。

喧嘩するにはラジアータは優等生過ぎます。我らは多様な森林機能を活かした天然林施業にシフトすべきだと痛感し、あらためて郷土北海道の森林林業に思い馳せる今日この頃です。

2⃣ ニュージーランドの森林とラジアータパイン

この内容は近日公開の予定です。乞う、ご期待‼ 2017.12.25