5月になれば・・・ 「育樹の集い」と「花トピア」に参加

オーナー「育樹の集い」の舞台、当別道民の森(神居尻地区)全貌

一昨年来の新型ウイルス感染症蔓延のため、中止となっていた「植樹」と「花植え」のイベントが、2年ぶりに再開となった。だが、折悪しく5/21同日の開催となり、自治会事業の「花トピア」には、前日までの参加で花苗運搬用のリヤカーの準備等に加わった。 21日は早朝より家を出て、札幌駅北口から小型バスに乗りJR当別駅経由で、当別町にある道民の森「神居尻地区」に向かった。目的は、「オーナーの育樹」イベントへの参加である。バスの乗客は三人で、ゆったりした旅行気分の二時間であった。当日は快晴に恵まれ風もなく暖かな一日であった。

先ずは、「オーナー育樹の集い 」について。

これは私の第二の職場、森林整備公社の主業務、分収育林に関わるイベントで30年以上もの継続事業である。

今回は、既に植栽した樹木の保育であった。植栽樹は、カンバ、ナラ、ハンノキ、ヤチダモなどの広葉樹とグイマツが主なものであった。活動の内容は、多雪地帯の牧草地跡に植栽した5年生の丈1~2mの苗木で雪害を受けたものの「雪起こし」や雪折れ苗の生育回復処置である。

この冬は、札幌では豪雪であったが、この地「当別青山奥、道民の森」は、通常も豪雪地帯であり、特別なことではなかった。しかし、現実は、植えられた広葉樹苗の殆どが雪圧で折り曲げられ、満身創痍であった。でも、これに代わる代替樹種グイマツは雪に強く、幹折れしたものも皆無ではないが、平均してまずまずの生育であった。作業は、雪の重みで折れた幹や枝の添え木による外科的救援措置である。添え木には、あらかじめ用意しておいた短く切ったネマガリダケの桿を使い、それをビニールテープで包帯のように苗木の折れた幹に巻いて固定した。また折れて既に枯れた枝は、剪定ばさみで整枝した。

全身創痍の苗木を「添え木」で手当て(5/21)

小川を埋める「エゾノリュウキンカ」

参加者は21名。お子様づれの家族やご両親からの相続による分収林関係者(オーナー)の集いであった。1時間ほどで、予定の行事を終え、各自手持ちのお弁当で昼食となった。いつもなら、熱い豚汁が振る舞われるのが、今回はこれも無し。食後の自然観察会は、どうしたわけか私が案内人を頼まれ、1時間ほどの散策コースを辿り自然解説を行った。

コースはカタクリ、エゾエンゴサク、ニリンソウ等が既に咲き終わり、キバナイカリソウが将に咲き始めようとする時季であった。小川はエゾノリュウキンカの色鮮やかな黄色で埋め尽くされ、ニリンソウやエンレイソウの残党も見え、カタクリは「種を結び」、春もたけなわといった状況だった。

例年と違うのは、エゾシカが猛烈に増え、コースのいたる所に見られる「糞の山」と白く皮を剥かれた「食害の風景」だった。

全ての日程が無事終わると、おみやげとして全員に一抱えもの「ウドの束」が配られ、皆満足して帰路についた。

次は「花トピア」事業について。

21日3時過ぎに帰宅すると、町内会行事の「花トピア」も終了しており、リヤカーも車庫前に無事帰っていた。

5/24 花苗も活着したことだろうとカメラを持って自宅近くの花壇に写真撮影に出かけた。すると、町内会の主だった役員が、まだ未整備の数カ所の花壇で花植えを行っていた。早速自宅からカンナ、鎌、熊手などを持ち出し、花壇の整備に加わった。北22条通りの歩道沿い花壇が主であった。聞くところによると、21日当日の参加者は約100人で、地元老人会が23名、ボランティアが10名、残りは町内会会員だそうだ。

これにより町内40箇所もの花壇に千本近くの花苗(ペチュニア、サルビァ、マリーゴールド等)が植えられ、一朝にして団地内に花トピアが出現した。その後28日には慈雨もあり、本事業もコロナ禍の下で2年振りに無事開催できた。

「育樹」会場は、シベリア気団からの冬将軍による痛々しい爪痕現場、一方、「花トピア」会場は平和の象徴?。 時世を反映するかのような対照的なイベントであった。

5月は新緑の季節であると共に「出会い、別れ」の時でもある。

長年、アライグマの捕獲や環境行政をやってきた後輩のH君が、第2の職場、留萌に赴任していった。また、道民の森で知り合いになった同じくHさんは、転職により郷里の静岡、焼津に帰って行く。5年程の短い付き合いの友人ですが、この年になっての友との離別は、また違った寂しさが残る。

一方、新たな出会いは、国民森林会議の機関誌「国民の森林」第150号との出会いである。5月中に上稿し、6月に発行予定だそうだ。 今後どのような展開になるか興味津々の今日この頃である。

では、また‼

コメント

  1. 山根 より:

    花トピアにまで おつきあいしたとは・・・・