この冬の降雪量は5.5mにも達し、例年より約1m、昨年より2m近くも多い。最大積雪深も1.5mと、私が札幌に住んで60年間で最も多い年であった。
- 降雪量 544cm、昨年より2m、平均より1m多い。
- 最大積雪深 150cm, 平均 70cmの2倍の積雪。
しかし、大雪(2/24)以来、暖気が続いたため1.5mあったものが1か月後には約半分の80cmになり、その1週間後の3/31には、その半分の43cmとなるなど、急速に雪融けが進んだ。だが、平年の8cmと比べるとまだ、まだかなり多い。
- 車庫前の状況 消火栓も埋まる(2/6)。
- 車庫前の積雪。シャベルは1.3m(2/6)。
- 1Fの窓より。奥は餌台の屋根の雪(2/6)。
急速な雪融けで話題となるのは、野外の雪崩と街中では屋根からの落雪や庭木の損傷であろう。幸い、雪崩の情報はなく、眼にしたのは街路樹や公園樹の倒木や枝折れであった。想定外は、家屋の倒壊で約80棟と例年の2倍と報じていた。
- 雪解けが始まると顔を出す庭木類。ツバキ、ツツジ (3/25)。
- 雪解けが始まると顔を出す庭木類。ツツジ (3/25)。
- 雪解けが始まると顔を出す庭木類 (3/25)。
- 囲いに守られて顔を出したシャクナゲ(3/25)。
我が中庭では、雪融けで頭を出したのは先ずツバキ(2m)で、次いでツツジ、ジャクナゲ、アジサイ、ボタンなどであった。 ツバキは暖地産ゆえすっぽりビニール袋で包まれたまま雪に埋もれていた。その先端を掘り出すと数日後には周囲の雪が融け、覆いを取りのけると無傷で顔を出した。シャクナゲは、杭に固定した枝部分は折れていたが、自然状態では殆どが無傷であった。シャクナゲのしなやかな幹は、雪の重圧に耐えて雪融けを待っていたのだ。これは自然の摂理であろう。ツツジ類は、かなり枝が折れていたが今後の成長や開花には、それ程の影響はなかろう。雪の下には、すでにスイセンの芽が、待ち遠しいのか群がって生えていた。
- 枝の折れたシャクナゲ。3/31
- 雪囲いに守られたボタン。幹は折れている。3/31
- 雪つりに守られたツツジ。
- 雪つりに守られたシャクナゲ。3/31
- ドウダンツツジ。被害は少ない。
- ビニールの覆いを取り外したツバキ。寒さの被害はない (4/1)。
- 頭の折れたアカエゾマツ。同様な被害はよく起きる(4/1)。
- ボキボキに折れたボタン。管理が悪い。
- 雪の下からスイセンが顔を出す。ホッとする。2022.4.1
- 雪の下からスイセンが群がって顔を出す。
家の周辺では、約1km西の北園公園の幹の太い公園樹(ネグンドカエデ)数本の大枝が折れていた。また、最も太い(直径約40cm)樹高15m程のものが根元から傾き、公園施設に倒れかかっていた。だが、他の公園では被害は余り見あたらなかった。
- 枝の折れたネグンドカエデ。北園公園3/29。
- 根元から傾いたネグンドカエデ。北園公園。3/29
恒例のパートナーシップによる除排雪は、一時実施が危ぶまれたが、3/21に遅れながらも廻ってきた。家の前にはその翌日にやってきた。
積雪は例年の2倍近くあったが、2/24の大雪後に寒波も無く、路面は凍っておらずグレーダーで1回押すとみるみるアスファルトが顔を出した。
- 道路と雪の山。車1台がやっと。 (3/25)
- 次々と来るダンプに雪を積み込むロータリー車。 (3/25)
- ダンプに雪を積み込むロータリー車。 後ろにはダンプが続く。(3/25)
- 狭い道に大きな車と機械で除排雪。 (3/25)
- 片側がすっかり排除された道路。
- スッカリ空いた道路。幅は2倍以上に。
また、両路肩の雪山もロータリー車1往復で綺麗に削りとられ、それに数珠つなぎのダンプカーに次々とはき出され、見る間に道路が空いていった。こうして家前の200mほどの中通りは約2時間、例年の1/3位の時間で作業が完了した。
半日位で広い生活道路が、再び戻ってきたことに大変感激した。毎日、車庫から眼前の道路迄の5m区間にどれ程の労力を費やしたことか!!
自家用車2台のうち1台は車庫に入れたままである。大雪の影響は、庭木などの自然物よりも人間生活(近代的な機器)への影響の方が遙かに大きい、この冬であった。
そんな中、3/31、山梨の写真家の友人が、懐かしい桜の写真をメールで送ってきてくれた。
- 送られてきた、故郷の写真家中嶌賢一さんの満開の桜。「お八幡さん」の糸桜
- 送られてきた、中嶌さんの満開の桜。我が家の菩提寺「妙了寺」の本堂前
- 送られてきた、中嶌さんの満開の桜。妙了寺の鐘楼
- 送られてきた、故郷の中嶌さんの満開の桜。妙了寺山門
今朝のラジオでも、コロナの中、変わらぬ桜の開花を待つ様々な地域の人達の楽しい集いや「桜前線の北上」の様子を伝えていた。それを見聞きしながら、学生時代に友と歩いた京都の東山の寺々、疎水沿い「哲学の道」の桜並木等を思い浮かべていた。もう、多くは鬼籍に入り会いたくても叶わない。
鶴見和子の「南方曼荼羅」を横に置きながら、哲学者故梅原猛先生の「人類哲学序説」等に明け暮れる毎日である。 では、また !!
コメント
やっとこ、戻ってきました。