1960年代には面積14,600haと本道第2のサロベツ原野は、50年後の現在はその半分以下の6,700haである。面積減少の主な要因は草地化である。
サロベツの遅い春は、6月、ワタスゲ、エゾカンゾウの白そしてオレンジの絨毯を敷き詰めたような湿原景観の出現に始まる。
しかし、平成12年から6年間は4回もエゾカンゾウの開花は少なく、特に平成15年には全滅とも思えるほど僅かな開花だったという。
- トキソウ (ラン科)
- ミヤマキンバイ (バラ科)
- ギョウジャニンニク (ユリ科)
- キツリフネ (ツリフネソウ科)
- イワノガリヤス (イネ科)
- ハクサンチドリ (ラン科)
- ヨツバシオガマ (キク科)
- タチギボウシ (ユリ科)
- クサレダマ (サクラソウ科)
- ヨツバヒヨドリ (バラ科)
- センダイハギ (マメ科)
- ヤナギトラノオ (サクラソウ科)
- ミツガシワ (ミツガシワ科)
- ネジバナ (ラン科)
- ショウジョウバカマ (ユリ科)
- エゾノコギリソウ (キク科)
- ツルコケモモ (ツツジ科)
- ハイキンポウゲ (キンポウゲ科)
- カキラン (ラン科)
- エゾチドリ (ラン科)
- ウメバチソウ (ユキノシタ科)
サロベツ湿原を取り巻く自然的社会的環境
サロベツ原野は、北海道第2の河川天塩川が日本海の注ぐ河口に発達した砂嘴と、黒潮と強い季節風により形成された砂丘とにより生じた「古・サロベツ湖」に起因する。この陸封された水深の浅い湖にサロベツ川が流入し、数千年かけ湿性植物の遺体が、湖床に堆積し湿原化したものである。それ故、湖全体にミズゴケを主体とする高層湿原が発達し、低層湿原は、湿原を環流するサロベツ川及びその支流の川岸に限られ、日本最大の低地で平坦な高層湿原景観が形成された、という。
湿原の地下水は高く、地下10cmまで水で満たされ、長靴でなければ歩けない程の過湿で、まさに「ミズゴケと水(沼沢)の原」である。 サロベツ湿原の主たる開発である「農地化」は、湿原の水位を下げることから始まる。しかし、湿原を維持するには地下水を高く維持することである。これはお互いに矛盾する環境である。
エゾカンゾウの開花の少ない原因は、地下水位低下による湿原表層の気温低下による「霜害」と言われる。 また一方、乾燥に伴うササ類の蔓延も挙げられる。
エゾカンゾウの開花が急激に減少したこともあり、2005年にはその対策として、2002年の自然再生推進法を受けて、地域に「自然再生協議会」が発足し、湿原保護と農業振興の全体計画及びその技術的課題が検討され始めた。サロベツ原野では農地と湿原が殆ど同じ標高にあり、釧路湿原など他の湿原とは異なる保全方策が模索された。この解決は容易ではない、現在、1965年開設の放水路を閉鎖し、湿原の排水を抑える一方で、湿原と農地の間に新たに農業用排水路を建設し、湿原の水位の上昇、湿原の開花などの成り行きを見守っている。
私が勤務していた昭和48年頃は、5年に一度だけエゾカンゾウの花が少ない年があった。また、その当時でも道道稚咲内ー豊富線沿線には海側からチマキザサなどササ類が侵入してきており、道路から離れた湿原内でもバーベキューパーテーをしている者、オートバイで乗り回している者もいた。当時も既に乾燥はかなり進んでいた。
湿原の乾燥化(地下水位の低下)がもたらすものは、①湿原植生の減退、消滅、②ササ類や牧草など乾性植生の侵入 、③湿原表層、地表温度など微気象の変動に伴う生息環境の変化等が考えられる。
湿原再生プランが成果をもたらし、ラムサール登録湿地でもあるサロベツ湿原に四季折々の花々が咲き、生物多様性が維持され、利尻富士をバックに原始性に富む湿原景観が保全されることを心より願っている。
参考図書 北海道の湿原 辻井達一編 北海道新聞社 2007.5
サロベツ湿原と稚咲内砂丘林帯湖沼群:その構造と解析 冨士裕子編著
北海道大学出版会 2014.7
北海道の湿原と植物 辻井達一編 北大図書刊行会 2003
北海道の湿原の変遷と現状の解析 北海道湿原研究グループ 1997.5