Ⅱ ルクソールの西岸地域 (ネクロポリス 死者の町)
ナイル川は全長6700kmで世界最長である。エジプト文明は、ナイル川の増水、エジプトの大地の地形が生み出した自然の賜であるといわれる。古代エジプト人は、ナイルの水を飲み、同じ生活と習慣を持つ者を仲間としている。
ナイル川は2つに分けられる。1つはデルタの「要(かなめ)」古代都市メンフィスを境に上エジプトと下エジプト。国土の9割は沙漠で、デルタ地方、西部のオアシスを除けば、人間に生活できるのはナイル川両岸の緑地帯だけ。ナイル川がエジプト文明の源であることは誰でも知っている。毎年起こる増水がエジプト文明成立の大きな原動力になった。でも、どうしてエジプトだけに壮大な文明が生まれたのだろう。エジプトに世界最初の強力な統一国家が建設されたのは、ナイル川という一本の川筋に文明が発生したためだと考えられている。
- ナイル川沿いの風景。緑地と砂漠の間を走る列車。
- ナイル川沿いの風景。緑豊かな河畔の樹林帯。
- ナイル川沿いの風景。ヤシ主体の森林と合間の畑。
- ナイル川沿いの風景。古代遺跡と現代住居が並ぶ。
ナイルの水運は、その増水を利用してピラミッドや神殿の建設に用いた膨大な石材を効率的に運搬することが出来た。エジプト文明はナイル川とその増水、そして砂漠というバリァーが「外敵の侵入を防いだ」という、「エジプトの大地と地形」が生み出した自然の賜であった。
- ナイル川沿いの風景。ヤシと農家、サトウキビ畑。
- ナイル川沿いの風景。緑地の背後は広大な砂漠。
東に昇り、西に沈む太陽。毎日変わることなく繰り返されるこの太陽の営みを、古代エジプト人は「永遠の秩序」と捉えた。
太陽神は、日が西の空に沈むと同時に死を迎え、地下にある冥界と暗黒を旅した。それ故、王が無事に冥界を通り、東の空に太陽神として復活することを祈った。
- ナイル川沿いの風景。豊かな水と水運。
- ナイル川沿いの風景。背後には砂丘、岩峰が続く。
古代エジプト人は、太陽神ラーに同行し、毎日天空と地下を船で巡る来世を思い浮かべた。ナイル川両岸に拡がる緑地帯を生者の住む世界と考え、一方、それを挟む砂漠地帯を「死者の世界」ネクロポリスと呼んだ。
古代エジプトのネクロポリスは3つ。サッカラ、ビザ、テーベ(ルクソール)西岸である。古代エジプト人は、死後復活し、来世で生活する家が必要であり、それが墓であった。 ネクロポリスは、彼らの宗教観が作り出した来世の住宅密集地であるという。
ルクソール西岸の死者の町は、王家の谷、貴族の墓、王妃と谷・・・ である。先ずは、メムノン巨像、ハトシェプスト女王葬祭殿、王家の墓、ツタンカーメン王墓と見ていこう。
1 メムノン巨像
- 道路脇には古代遺跡が数多くみられる。
- メムノン巨像の風景。砂漠との境に立つ葬祭殿の跡地にて。
- 「メムノン巨像」の左像は、朝、夕すすり泣くような声を出したが、ローマ人の修復で出なくなったという。
- メムノン巨像。葬祭殿の前に立つ、高さ20mの像だけ残る荒涼とした風景。
広大な平野にとり残された2体の巨像は、毎朝、亀裂によるキシミ音を立てた。これは、アメンホテプ3世葬祭殿の入口を飾るH20mのご本人の像である。その声は、ギリシャ神話の英雄メムノン(アキレスに殺される)の嘆く声とされた。今回、足もとに立ち見上げると、泣き声は、巨像の組み立てられた岩の割れ目を吹き抜ける風が共鳴して発生したものだろう。それにしても、背後にあるべき巨大な塔門や列柱群は、後のファラオの神殿造りの石材再利用のため取り壊され、運び去られたという。アメンホテプ3世の残された巨大な褐色2像は、時の流れ、人の世の「無常」さを強烈に思い知らしてくれる。
2 ハトシェプスト女王葬祭殿
王家の谷の東側にある断崖に削り出された巨大な建造物は、女王であるファラオの葬祭殿(王の死後、来世の復活を願う人が集い、供物を献げるための場所 )である。ファラオは、本来男性王でなければならない。そのため、この女王は、髭を付け、男装をして民に君臨していた。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の風景。簡便なシャトルバスが、観光客を現場まで運ぶ。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の風景。バスの中から断崖下の巨大な神殿を望むむ。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の風景。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の風景。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の風景。第2テラスから第3テラスへのスロープ。
- 第3テラスの葬祭殿風景。アメン神の姿をした再現したハトシェプスト女王の像が並ぶ。髭がついている。
- 第3テラスの女王葬祭殿の風景。岩盤を削り出したあまりにも巨大の建物に声も出ない。
- 第2テラスから入口方向を望む。前庭の広大な敷地と周辺の発掘遺跡群。
3段のテラスを結ぶ傾斜路は、背後の断崖絶壁が葬祭殿と直接接するように設計されている。切り立った断崖と一体化した壮大な葬祭殿は、神殿建築の最高峰と評されている。
- ハトシェプスト女王葬祭殿の見取図。幅100m 奥行400m。
- 第3テラスの女王葬祭殿の風景。夜空の星とファラオ名の象形文字が、当時の鮮やかな色彩を残す。
- 第3テラスの女王葬祭殿の風景。素晴らしい見識で皆を圧倒する。
- 第3テラスの女王葬祭殿の風景。素晴らしい色彩の残る神殿の壁や天井。
- 第3テラスの奥の「至聖所」の入り口にて。
- 至聖所の壁画の風景。広大な空間が人により掘り出されている。
3 王家の墓 ツタンカーメン王墓 他
ファラオたちの墓の集まる「王家の谷」は、古代最大のネクロポリスとして知られている。王墓は全て62基。その62番目に発見されたのがツタンカーメン王墓である。
19歳の若さで死んだツタンカーメン王(在位BC1333-1323)は、古くは毒殺など言われていたが、現代の科学(CT,DNA)では先天的な脚の疾患やマラリヤがあったことが発見され、病死の可能性が高いという。ミイラは3重の人型棺、4重の木製厨子に覆われ石棺の中に収められていた。
- 「王家の谷」の岩石砂漠風景。王家の谷の入口。
- 「王家の谷」の風景。王墓の裏山はピラミッドに似せて三角山。
- 「王家の谷」の風景。ツタンカーメン王墓の入口にて。
- ツタンカーメン王墓の壁画。永遠の来世への開口の儀式。白い冠が王、豹の毛皮が後続の王「アイ」。
- ツタンカーメン王墓の内部。壁画が色鮮やか。
- 「王家の谷」の風景。ツタンカーメン王のミイラ。
- 「王家の谷」の風景。隣接する第20王朝、ラムセス9世(BC1126-1108)の絢爛豪華な王墓。
- 「王家の谷」の風景。第20王朝ラムセス9世の王墓の太陽神の壁画。
- 「王家の谷」の風景。ラムセス9世の王墓、太陽神の再生を願う壁画。
- 「王家の谷」の風景。第20王朝、ラムセス9世の石棺と豪華な玄室。
- 「王家の谷」の風景。隣接する第20王朝、ラムセス9世の広大な王墓。
- 「王家の谷」の風景。第20王朝ラムセス9世の王墓の前にて。
新王国時代は、既にピラミッドを建てようとする習慣はなくなっていた。しかし、ピラミッドは王の象徴であるとの考があった。谷の入口が狭く、警護しやすいことから、切り立った断崖に、岩窟墓を作るようになる。しかし、ピラミッドの盗掘と同様に、殆どの王墓は墓泥棒によって荒らされた。無傷で発見されたのは、ツタンカーメン王墓のみと言われている。無名で夭折の「ツタンカーメン王」の狭い墓の副葬品は5,000点にも及ぶ。 主な副葬品は、本人像、玉座、2輪戦車、寝台、弓、衣服、扇、胸飾りなど宝飾品、手袋、サンダル、枕、ベッド、ゲーム機、杖、楽器、ワイン、肉・・・など。
これらは、エジプト考古学博物館(後に紹介)に収納され、一般公開されている。
幸運なことに、自分で作った王墓の中で永遠の眠りについているのは、ツタンカーメン王ただ1人である。という。
では、また!!
参考図書
古代エジプト なるほど辞典 吉村作治 監修 実業之日本社 2001
古代エジプトを知る辞典 吉村作治 監修 東京堂出版 2005
ゼロからわかる古代エジプト 近藤二郎 Gakkenn 2013
古代エジプト解剖図鑑 近藤二郎 株式会社エクスナレッジ 2020