旅の2日目、スロべニアを出てクロアチアに入り、スプリット(Split)に午後3時に着く。
目的地は、世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿」である。こんな辺鄙な地に宮殿といぶかしがったが、眼前はアドリア海。その向こうはイタリア半島である。
- アドリア海に接したスプリットの町
- アドリア海の島々。その背後にイタリア半島があり、スプリットはその当時のリゾート地であり植民地。
スプリットはクロアチアのアドリア海沿いの最大の港町で、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?年)の宮殿が建てられ、後に旧市街となったところで、この地に人が住むようになったのはローマ帝国が滅び、異民族ペルシャ人等が侵入してきた7世紀以降であるという。
その後は自治都市として栄え、12~14世紀にはベネチァアの支配下となった。人々は宮殿跡を基礎部分とし、その上に建物を増築して町を築いたため、古代と中世が混合する町が出来上がったという。
この宮殿跡は150m×200mの規模で、港に面する南側の正門(青銅門)を入ると、D帝の私邸がある。一階部分は残っていないが、同じ構造の地下部分がほぼ完全に残っている。
- 3世紀当時の建築。レンガ造り地下室。
- 入口の中はゴミが固まったままで残されている。
この地下部は中世に倉庫として使われ、後にゴミ捨て場としてゴミに埋め尽くされていたため現在まで残ったという。
- 観光客でにぎあう3世紀当時の建築。レンガ造りの地下室
- 太い柱の地下構造。これが上部の巨大な宮殿を支えていた。今はショッピングコース
地下室を抜けると、円形をした広場にでる。これはD帝私邸の玄関で、かってはモザイク状のドームに覆われていた。
- 紀元3世紀のレンガ造りの建物。ニッチには彫像が飾られていた。
- 紀元3世紀のレンガ造りの建物 かっての天井はモザイクのレンガで覆われていたという。
更に進むと、宮殿跡の中心部プリエステル広場に至る。ここには今日でも沢山の旅行客が集まり、劇や合唱が行われたりしている。
- プリエステル広場に集う旅行者
- プリエスティル広場に集う旅行者(何かが始まる?)
その東側には大聖堂と高い鐘楼があり、アドリア海を行く船運や船旅の人々のメルクマールでありこの町のシンボルとなっている。
- 宮殿のシンボル大聖堂と鐘楼。アドリア海の商船隊のランドマーク
- 13世紀に大聖堂の内部が改築されロマネスク調の彫刻がみられる。
この後、自由行動となり、北の金門を出て10世紀の司教グルグールの像を見て、宮殿外の市街や青空市場を巡り、
- この像の左足に触れると幸運に恵まれるとか
- 宮殿と市街地の混成状況
- 宮殿の門より外の市街地を望む
この日の観光は終わり、スプリットのホテルへと向かった。
参考:クロアチアとスロベニアの国勢・地図・名物料理・歴史を記す。
- クロアチア、スロベニア旅行地図とその国勢