クロアチア・スロベニア周遊8日間の旅(2)

ディオクレティアノス宮殿中央のプリエステル広場に集まる観光客

旅の2日目、スロべニアを出てクロアチアに入り、スプリット(Split)に午後3時に着く。
目的地は、世界遺産「ディオクレティアヌス宮殿」である。こんな辺鄙な地に宮殿といぶかしがったが、眼前はアドリア海。その向こうはイタリア半島である。

スプリットはクロアチアのアドリア海沿いの最大の港町で、ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245?~316?年)の宮殿が建てられ、後に旧市街となったところで、この地に人が住むようになったのはローマ帝国が滅び、異民族ペルシャ人等が侵入してきた7世紀以降であるという。

その後は自治都市として栄え、12~14世紀にはベネチァアの支配下となった。人々は宮殿跡を基礎部分とし、その上に建物を増築して町を築いたため、古代と中世が混合する町が出来上がったという。
この宮殿跡は150m×200mの規模で、港に面する南側の正門(青銅門)を入ると、D帝の私邸がある。一階部分は残っていないが、同じ構造の地下部分がほぼ完全に残っている。

この地下部は中世に倉庫として使われ、後にゴミ捨て場としてゴミに埋め尽くされていたため現在まで残ったという。

地下室を抜けると、円形をした広場にでる。これはD帝私邸の玄関で、かってはモザイク状のドームに覆われていた。


更に進むと、宮殿跡の中心部プリエステル広場に至る。ここには今日でも沢山の旅行客が集まり、劇や合唱が行われたりしている。

その東側には大聖堂と高い鐘楼があり、アドリア海を行く船運や船旅の人々のメルクマールでありこの町のシンボルとなっている。


この後、自由行動となり、北の金門を出て10世紀の司教グルグールの像を見て、宮殿外の市街や青空市場を巡り、

この日の観光は終わり、スプリットのホテルへと向かった。

参考:クロアチアとスロベニアの国勢・地図・名物料理・歴史を記す。