- 今も残る門。表札は父名のまま80余年。
- 倉解体撤去後の屋敷風景
山梨の生家「青柳家」は、私が7代目当主で約250年以上続いている。墓碑によると、青柳家の家系は、次の通りである。
乙右衛門 --音右衛門 --金岡 -- 丹右衛門 --松次郎 --太郎 --正英
寛政11(1799 )安政6(1859 ) M28(1895) M43(1910) S5 (1930) S51年没
なお、丹右衛門の父「佐与吉(音右衛門の実子)」は早逝したため、丹右衛門は叔父青柳金岡を養父とし、その長女を妻とした。 今回の帰省は、主に生家を飾ってきた額類(肖像画や写真、書画、刺繍など)を処分することとした。
先ず、肖像画では古いものから初代は不在だが、2代目青柳音右衛門(?)3代目金岡(丹右衛門の養父)4代目丹右衛門及び叔母の「かよ 」5代目松次郎である。そして6代目の我が父母、それに近隣に嫁いで若くして亡くなった実姉などである。絵画などでは額絵、色紙など。
- 2代目 音右衛門?(安政6年没)
- 金岡 年齢64-5歳(文政6-明治28年 死亡後写真より書取る)
- 4代目 丹右衛門(弘化2~明治43)
- 丹右衛門の叔母「かよ」明治35年写(71歳)
- 5代目 松次郎(明治4~昭和5)
- 6代目 太郎(明治42~昭和51)
- 太郎妻 梅子(明治44~平成17)
- 長女・民子(昭和8~昭和40)
- 奥座敷を飾る額絵
- 広隆寺の弥勒菩薩
- 色紙「清水寺」
- 玄関を飾る「アイヌの彫刻」
- 姉(民子)の戦後間もない頃(高校時代)の石膏像
- 色紙「タンチョウ」
- 古い時代の日蓮宗の曼陀羅(建治2年)
肖像画・絵画・書の他には書状がある。感謝状、賞状、それに新しいものでは今から50年ほど前の我が兄弟3人の大学卒業証書である。
- 日蓮宗、高峰山妙了寺の本願人(母梅子)
- 兄(正也)の神社庁の感謝状
- 正英の日蓮宗からの賞状
- 兄正也の卒業証書
- 正英の卒業証書
- 妹(蓉子)の卒業証書
晩年、母は刺繍を趣味とし「鳥や動植物などの自然、異国情緒のゴンドラ」など時間を掛けて紡いでいた。また、我が兄弟が京都で学生生活を送ったため、母は何度も京都を訪れ、しかも、卒業後兄が大阪の会社に勤めたため、関西に関心を寄せ、清水寺や苔寺などの古寺、仏像、版画なども好んで飾っていた。
- 玄関を飾る母の刺繍 瑞竹
- 母の刺繡 シマリス
- 母の刺繡 文鳥
- 母の刺繡 シャクナゲ
- 母の刺繡 ゴンドラ
- 母の大作 達磨
- ミレーの「落穂ひろい」(複製)
- 南画風 屛風(双幅)
以上が半世紀以上もの間、我が家を飾っていた書画の類である。それ以外の掛け軸やふすま絵、絵画類は空き家として30年以上も放置していたため、色あせ、雨漏りなどで取り外されたものもある。
今回これらは全て写真に残し、庭に次の住人が設置した焼却炉で大半を焼却し灰塵とした。しかし、隣人の助言や紹介もあり、南アルプス市文化財課から係員が2名が実家にお訪れ、明治大正期の地元小学校他の古い写真や古文書などを提供し調査、処分をお願いした。
- 床の間の掛け軸
これにより、我が故郷の生家は、解体に向け更に一歩を進めたことになる。
これは、かっての青柳家墓地と配置図である。(2017.4.16) 配置図は実兄正也作製
- 青柳家墓地(全景)
- 青柳家墓地の墓石配置図(実兄正也作図)
- 青柳家墓地(左部)
- 青柳家墓地(中央部)
- 青柳家墓地(右部)
以上です。
青柳家累代のご先祖さま !! 7代当主正英の不孝をお許しあれ !!
ではまた。
コメント
尚です。
HP拝見しました。
祖母や父のこと、また、祖母の部屋にかかっていた肖像画の謎とその処分を聞き色々と思い涙しました。
私は誇り高き青柳家の一族に生まれることができて心から良かったと思っています。
またいつの日か「青柳」について語り合える日が来ることを楽しみにしております。
コメントありがとう。私は10.14再び生家へ。資料集めと、11.3の最後の始末の準備です。機会がありましたら会いましょう。
お元気で!!
お気をつけていってらしゃい。