我が故郷(生家)の解体(Ⅱ)

解体前の我が生家(2017)

山梨の生家「青柳家」は、私が7代目当主で約250年以上続いている。墓碑によると、青柳家の家系は、次の通りである。

乙右衛門 --音右衛門  --金岡   -- 丹右衛門--松次郎--太郎 --正英

寛政11(1799 )安政6(1859 ) M28(1895)  M43(1910)  S5 (1930)  S51年没

なお、丹右衛門の父「佐与吉(音右衛門の実子)」は早逝したため、丹右衛門は叔父青柳金岡を養父とし、その長女を妻とした。

今回の帰省は、主に生家を飾ってきた額類(肖像画や写真、書画、刺繍など)処分することとした。

先ず、古いものから、3代目祖父・青柳金岡、4代目祖父・丹右衛門 、5代目祖父・松次郎である。そして6代目の我が父母、それに近隣に嫁いで若くして亡くなった実姉である。

肖像画の他には書状がある。感謝状、賞状、それに新しいものでは今から50年ほど前の我が兄弟3人の大学卒業証書である。

晩年、母は刺繍を趣味とし「鳥や動植物などの自然、異国情緒のゴンドラ」など時間を掛けて紡いでいた。また、我が兄弟が京都で学生生活を送ったため、母は何度も京都を訪れ、しかも、卒業後兄が大阪の会社に勤めたため、関西に関心を寄せ、清水寺や苔寺などの古寺、仏像、版画なども好んで飾っていた。

以上が半世紀以上もの間、我が家を飾っていた書画の類である。それ以外の掛け軸やふすま絵、絵画類は空き家として30年以上も放置していたため、色あせ、雨漏りなどのシミで見られるものではなくなっていた。

今回これらは全て写真に残し、庭に次の住人が設置した焼却炉で焼却し灰塵とした。

これにより、我が故郷の生家は、解体に向け更に一歩を進めたことになる。

これは、かっての青柳家墓地と配置図である。(2017.4.16)配置図は実兄正也作製

青柳家の先祖累代の霊よ !! 7代当主正英の不孝をお許しあれ !!

ではまた。