我が故郷(生家)の解体(Ⅱ)

青柳家中興の祖 4代目 丹右衛門(弘化2~明治43)

山梨の生家「青柳家」は、私が7代目当主で約250年以上続いている。墓碑によると、青柳家の家系は、次の通りである。

乙右衛門 --音右衛門 --金岡 -- 丹右衛門 --松次郎 --太郎 --正英

寛政11(1799 )安政6(1859 ) M28(1895)  M43(1910)  S5 (1930)  S51年没

なお、丹右衛門の父「佐与吉(音右衛門の実子)」は早逝したため、丹右衛門は叔父青柳金岡を養父とし、その長女を妻とした。  今回の帰省は、主に生家を飾ってきた額類(肖像画や写真、書画、刺繍など)を処分することとした。

先ず、肖像画では古いものから初代は不在だが、2代目青柳音右衛門(?)3代目金岡(丹右衛門の養父)4代目丹右衛門及び叔母の「かよ 」5代目松次郎である。そして6代目の我が父母、それに近隣に嫁いで若くして亡くなった実姉などである。絵画などでは額絵、色紙など。

肖像画・絵画・書の他には書状がある。感謝状、賞状、それに新しいものでは今から50年ほど前の我が兄弟3人の大学卒業証書である。

晩年、母は刺繍を趣味とし「鳥や動植物などの自然、異国情緒のゴンドラ」など時間を掛けて紡いでいた。また、我が兄弟が京都で学生生活を送ったため、母は何度も京都を訪れ、しかも、卒業後兄が大阪の会社に勤めたため、関西に関心を寄せ、清水寺や苔寺などの古寺、仏像、版画なども好んで飾っていた。

以上が半世紀以上もの間、我が家を飾っていた書画の類である。それ以外の掛け軸やふすま絵、絵画類は空き家として30年以上も放置していたため、色あせ、雨漏りなどで取り外されたものもある。

今回これらは全て写真に残し、庭に次の住人が設置した焼却炉で大半を焼却し灰塵とした。しかし、隣人の助言や紹介もあり、南アルプス市文化財課から係員が2名が実家にお訪れ、明治大正期の地元小学校他の古い写真や古文書などを提供し調査、処分をお願いした。

これにより、我が故郷の生家は、解体に向け更に一歩を進めたことになる。

これは、かっての青柳家墓地と配置図である。(2017.4.16) 配置図は実兄正也作製

以上です。

青柳家累代のご先祖さま !! 7代当主正英の不孝をお許しあれ !!

ではまた。

コメント

  1. 青柳尚 より:

    尚です。
    HP拝見しました。
    祖母や父のこと、また、祖母の部屋にかかっていた肖像画の謎とその処分を聞き色々と思い涙しました。
    私は誇り高き青柳家の一族に生まれることができて心から良かったと思っています。
    またいつの日か「青柳」について語り合える日が来ることを楽しみにしております。

    • Forest Boy より:

      コメントありがとう。私は10.14再び生家へ。資料集めと、11.3の最後の始末の準備です。機会がありましたら会いましょう。
      お元気で!!

  2. 山根 より:

    お気をつけていってらしゃい。