現在、私は農水省の野生鳥獣被害対策アドバイザーである。これは、イノシシ、シカ、サルなどの農作物被害に対し専門的な知識や経験を有し、地域の要請の応じ助言などを行う制度である。私の主な対象はアライグマである。
最近は、タブレットを開くと飛び込んでくるのは「ヒグマ」速報で、恐ろしいクマの顔、顔・・・である。それに全国各地での「クマ出没」ニュースである。そして、これが毎日更新されている。どうして、この様な状況になったのだろう。今後、これに如何に対応すれば良いのだろうか。
私は、永年北海道の林務行政に携わり、退職後は、森林ボランティアとしての小学生や一般の方々の「森の案内人」として、さらには、趣味の山歩きなどで人生の殆どの期間を森林に接してきた。そして、今は、その森林に入るのに「何故か危険を感じ、二の足を踏む」状況にある。何とも残念である。
今回は、ヒグマについての森林技術者として考えていることを述べ、皆様のクマ対策の一助になればと思い投稿致します。
話題の構成は Ⅰ ヒグマとはどんな動物か Ⅱ 農業被害や市街地への出没状況
Ⅲ 今後ヒグマとどのように対応していくか として数回にわたりお話しします。
Ⅰ ヒグマとはどんな動物か
私は森林に接して60余年。しかし、森林内で直接クマの姿を見たことはない。そこで、クマをしっかり見ようと札幌市の円山動物園に数回通った。動物園は円山公園の古い杉林の奥にあり、その入口で異様な光景を見た。クマ出没の看板である。こんなに身近に出没である。
- 円山動物園入口の手前スギ林内の小径の状況。クマ出没の看板が立っている。(2023.4.13出没)
- 動物園の檻の中でのヒグマ(2025.6)
1 ヒグマという動物
1)種としてのヒグマ
世界のクマ科は5属7種で、ホッキョクグマ、ヒグマ(グリズリー)、アメリカクロクマ、アジアクロクマ(ツキノワグマ)、ナマケグマ、マレーグマ、メガネグマである(他にジャイアントパンダ)。
ヒグマ属は、アメリカクロクマ、ヒグマ、ホッキョクグマの3種で、この順に体が大きい。ホッキョクグマは最大で800kgにもなるという。ヒグマは、冷涼な気候を好み、クマ科の中で最も広く分布し、北半球(北米、北欧、アジア)の針葉樹の森林帯に生息する。
ヒグマ(Ursus arctos)の亜種であるエゾヒグマは、日本列島において北海道にのみ生息する肉食目クマ科である。 陸生の哺乳類の中で最大のエゾヒグマは、我が国唯一の猛獣でもある。また、IUCNレッドリストの「絶滅危惧種」に指定されている。
ヒグマには亜種が多く、エゾヒグマ(北海道)、グリズリー(北米北西部)、コディアックヒグマ(アラスカ)等約10亜種がいる。どの亜種にも特徴的なのは、肩の筋肉の「こぶ」、根を掘る前肢の「長い爪」、強く強力な「後肢」、小さな「耳」である。ヒグマは臭覚に比べ聴覚、視覚は劣るという。
ヒグマは、その生息域の大半から一掃され、多くの地域で絶滅に瀕している。狩猟と生息環境の減少が主な原因である。しかし、狩猟は制限できるが、人里近くに現れたクマは、家畜に「危害を及ぼす虞がある」というだけで駆除(殺害)される。
ヒグマは、日本周辺では北海道、国後島、択捉島の他、北千島、カムチャッカ、サハリン、大陸沿岸部などに生息する。日本の本州では約1万年前、氷河期の終わりに絶滅したが、その理由は不明である。
最近の研究によると、ヒグマとホッキョウキグマは近縁で約60万年前に分岐する。ツキノワグマはアメリカクロクマと近縁であるという。
2)どんな生活をしているか
ヒグマ(以下、エゾヒグマをいう。)は、北海道の森林や原野に生息する。ヒグマの1年の行動形態を、模式的に示すと右図のとおりである。
ヒグマは、繁殖や子育て以外は単独で暮らす。それは、同じ地域内の個体間の食物を巡る争いを減らすためで、また、ヒトとの遭遇も避け、日常的には殆どヒトとは遭遇しない。
ヒグマは3~4年で性成熟し、メスは2年に一度出産する。出産は冬眠中で1度に1~3子である。生まれた時は400gで2年間ほど親に従って行動する。
寿命は野生で25~30年で、登別クマ牧場ではオス20年、メス30年とメスの方が10年も長い。行動圏は、知床では、メス11~20km2(1-2万ha) オス200~450km2とオスの方が20倍も大きい。
3)ヒグマの生息分布上の特性
ヒグマが広大な分布域を獲得した要因としては、次の3つが大きいという。
①大きな体格を持ち、天敵がいないこと
体長(鼻先から尻まで)成獣オス:1.9~2.3mメス:1.6~1.8m 。体重 オス:120kg~250kgメス:150kg~160kg 。最大の体重は、オス:520kgメス:160kg。
育児期にはワシ・タカ類やキツネ等に襲われるが、成長するとヒト以外に天敵はなく、シベリアではトラが天敵である。→ 森林の王者
②食性が雑食性であること
餌は、植物類、魚類、哺乳類、昆虫類と極めて多様である。
ヒグマの食性は、草食性主体の雑食性である。植物では、アキタブキ、エゾイラクサが最もよく利用され、セリ科のハクサンボウフウ、シラネニンジンやサトイモ科のザゼンソウを好む。これらは北海道の山野では、極めて一般的な種類である。しかし、近年、エゾシカの急増により、ヒグマは好きな植物を充分食べられない状況にある。一方、エゾシカの増加に伴い、自動車や列車による交通事故死(ロードキル)の増加、更には、狩猟による鹿の死体やその残渣の放置により、野外での鹿肉を食する機会が増え、ヒグマの肉食化が増している。それゆえ、近年、家畜やヒトを襲うようになったのではないかといわれる。
③冬眠すること
冬眠は、気温が低下し餌資源が少ない冬期に、山の陽当たりのよい南西斜面に横穴を掘り、厳しい冬期を生き延びる適応である。冬眠は、大型哺乳類であるヒグマ、ホッキョクグマ、アメリカクロクマ、ツキノワグマが行う。しかし、ヒグマやツキノワグマには冬眠しない個体も僅か(1%)にいるという。道東でも真冬に釣りに行ってヒグマを見た、という例を聞く。暖冬や豊富な鹿肉もその一因であろう。
ヒグマやツキノワグマは一般に、11月~12月上旬に冬眠に入り、翌年、3月中旬~5月上旬に目覚める。この間、摂食、摂水、排泄は一切行わないという。メスは冬眠中(1月下旬~2月上旬)に1~3子を出産する。仔グマは母グマと2度冬眠することもある。それ故、冬眠と言うより「冬ごもり」というのが適切である。
4)森林とのかかわり
ヒグマは、北半球の主に森林生態系内で生活する哺乳類である。ヒトも本来、自然の生態系の中の一員に過ぎない。ヒグマはこの生態系に君臨し、ヒト以外に天敵はいない。トラやヒョウなどの大型ネコ科やワシ・タカなど大型猛禽類などに仔グマが襲われる例があるなど、天敵は皆無ではないが僅かである。
いずれにしても、ヒグマは陸上生態系の「食う、食われる」食物連鎖(食物網)の頂点に位置する捕食者である。それゆえ、ヒグマは、森林内の最強の生き物「森林の王者」といえよう。また、先にみたように主に草食性で、ヒグマは植物食の1次消費者でもある。さらに、ヒグマは海洋と森林間の物質循環を仲介する重要な物質運搬者でもある。
食物連鎖を物質循環から見ると、捕食者は、捕食により餌資源を摂取し体内で消化し、栄養源とする。未消化物は、排泄物として体外(外部環境)に放出される。
サケやマスの遡上する河川では、ヒグマはそれを餌資源とする。河川を遡上したサケやマスは、河川で産卵、孵化し、稚魚が河川を下り、海洋生活を3~5年過ごし、成魚になって再び生まれ故郷の河川に戻り、産卵し同じサイクルを繰り返す。
これにより、海洋生態系からの多くの物質が、河川生態系を通じて森林生態系へと運搬される。これは、サケやヒグマが、生活を通じて各生態系の隅々まで物質を運搬し、生態系間の物質循環を促進していることになる。これにより、長期にわたり、森林が健全に維持されていくことになる。
さらに、海岸にはザトウクジラやイルカ、アザラシなど大型海獣の死体が打ち上げられる。ヒグマの頑強なあごの力が、海獣の厚い皮膚を食い破り、カラスやキツネ等の環境の掃除屋の役に立っている。
この様にヒグマの存在は、森林のみならず自然生態系の生物の多様性の維持に大きく関わっている。それ故、ヒグマは、森林生態系のキーストーン種と言われる。
ではまた!!
以下次号
参考図書 ヒグマ学入門 天野哲也他 北大出版会 2006.10
ヒトとヒグマ 増田隆一 岩波新書 2025.3









