郷里山梨から「花の便り」が届く

「裏身延」と呼ばれる「高峰山妙了寺」の樹齢300年を超える古木の満開の桜

4月、全国各地の桜満開の報道が届く。北の街「札幌」にも、待ち焦がれた春がやってきた。 4月第1週の後半、日中の最高気温も10℃を超え、4/8 庭の雪も完全に消えた。今年の降雪は偏った降り方だったが、総降雪量では例年と変わらず約5mであった。4/1 現在の積雪深は11cmで、平年(14cm)に比べると僅かに少ない程度だ。我家の庭も、家蔭の雪も融け、黒い土が顔を覗かせている。 見ると、いつもの場所にフクジュソウ、クロッカスが色鮮やかに咲き、フキノトウの蕾それからスイセン、ギョウジャニンニクが尖った青い芽を出している。

そんな中、郷里山梨からは見事に咲いた花の便りが届いた。送り主は、妻の従弟の高校時代の学友で、毎日新聞の記者であり、共同通信社に勤められたプロ級の写真家中嶌賢一氏からである。これまで送られた写真(我が菩提寺「妙了寺」境内の巨樹満開)は、パソコンの鏡絵にして毎日楽しませてもらっている程の見事なものである。ここに、中嶌氏の許可を得て公表いたしますので、心ゆくまで眺め、満喫して下さい。

撮影地の概要は以下の通りである。

八幡神社:所在 南アルプス市字上市之瀬 (生家から約500m)

郷里の集落の最も山手に建つ社で、地域では「お八幡さん」呼ばれている。その社の前に立つ「イトザクラ」は、根元周4.4m 樹高10m 樹齢200年と言われている。

昭和51年 町の天然記念物に指定されている。

妙了寺 : 同所在  (生家から約200m)

日蓮上人の直弟子妙了日仏尼、日了親子により開かれ、日蓮宗総本山「身延山久遠寺」に並ぶ格式といわれ、甲斐の国触れ頭3ケ寺筆頭として「裏身延」と尊崇されてきた。

境内にはソメイヨシノなど樹齢300年を超える桜の古木が見られ、花の時期には観光バスが並ぶほどである。伝えによると、徳川家達(16代当主)の出生祈願寺として知られ、安産・子育ての守護として古くから信仰されてきた。

だが、昭和24年4月8日花祭り大火(打ち上げた花火が落ちて炸裂)で伽藍の殆どが焼失。

当時、私は、寺に隣接する小学校(現在の西小)の2年生で、クラスの多くの女子は「お稚児さん」として祭りに参加していた。火事は飛び火して500m程離れた隣の集落100戸ほどに延焼したが、寺を囲む我が集落は1戸も焼失しなかった、古い想い出がある。

西小:同所在 (生家から約300m)

南アルプス市立西小学校 昭和30年代の町村合併で、郷里、旧野々瀬村は櫛形町に変更となり、更に平成の大合併で南アルプス市に併合される。この小学校は、妙了寺に隣接して建っていたが、かっての村立野々瀬小学校が市立西小学校と代わり、ほぼ同じ場所に存続している。

曹洞宗の古刹 伝嗣院 のサクラ

伝嗣院(でんしいん):所在 南アルプス市字上宮地 (生家から約1,500m)

1512(永正9)年三輪明神の神主今沢重貞が出家し、この地に寺院を建立。1564年曹洞宗州安派本山に昇格。曹洞宗甲州七法搭の一つとして最盛期には50もの末寺を有する。1898(明治31)年落雷による火災で七堂伽藍を消失し寺勢を失う。武田信玄の時代の文書を所蔵し、寺宝に紙本墨書大般若経600卷(県文化)がある。

なお、我が集落は、扇状地の扇頂部に位置し、裾野に拡がる扇央部は、モモやスモモの果樹地帯で、花の時期は将に「桃源郷」を呈する。

追記 4月9日 桜前線は順調に北上を続け、昨日は長野市、今日は山形市での開花宣言。桜前線が津軽海峡を越え、函館に上陸するのは4月23日、札幌は翌24日、道東の釧路には5月9日と報じている。  我が庭での花見は、まだまだ先の話である。

以上です。ではまた!!

追伸(開花情報)

4/20 函館で開花、その後10℃前後の寒い日が続き、札幌の開花は4/25。

その間、部屋にはハイビスカス、庭にはカタクリが咲き、隣ではサンシユ が満開となる。  さらに遅れて4/27、やっと 我が家のソメイヨシノも一分咲きとなる。

世の中に たえた桜のなかりせば 春の心は のどけからまし   在原業平