今から凡そ50年前のS52年、道職員の海外研修でロンドンに立ち寄った。その時、大学時代の友達が拓銀ロンドン支店に勤務しており、昼食を共にしたことがある。友人は、ロンドンの街の下にはローマ時代の遺跡があり、土を掘り返すとローマ時代の円柱や建物の破片が一杯出てくると言っていた。それから何十年も経ち、昨年10月、妻と連れだって英国旅行に参加した。エディンバラから南下し、チェスターに向かうバスからは直接見えなかったが、カーライルの手前イングランドとスコットランドの国境付近で「ハドリァヌスの長城」を通過した。また、チェスターでは、中世のような旧市街を囲む城壁上を歩いていると、足下にミニ「フォロ・ロマーノ」のような円柱や建物など古代ローマの遺跡が見られた。
- 中世の都市チェスター、新門付近の城壁上からの風景。
- 城壁には、城門の脇から登れる。下は、ローマの遺跡。
ハドリァヌスの長城は、遥かローマから直線距離で1000kmも離れたローマの属州ブルタニア(イギリス)北部(スコットランドとの境)の地に、イギリスを東西に横切る長城のように112kmもの長さで存在していた。驚いたのは、更に120kmも北のスコットランド内にもう1本「アントニヌスの長城」があるという。
- ハドリアヌスの長城 イギリス(ノーザンバーラント)あるローマ帝国の国境線を防御する壁(メリス)の一部。第14代ハドリアヌス皇帝により2世紀に建設される。
- イギリス北部の2本の防御壁。
これらは古代ローマ帝国の北の果てであろう。今から2000年も昔に、ローマ人はどのようにしてここにやって来て、住み着き、北から侵入してくる蛮族「ケルト人?」を防ぐため壁を築き、守っていたのであろうか ? こんな疑問がズーッと頭の隅にあった。
今年、84才の誕生日前のクリスマスに、いつもの元町図書館から塩野七生著「ローマ人の物語」を借りて読み始めた。 そして2月7日、15巻目を読了した。最終卷は、滅び行くものの挽歌で、ボロボロのローマ帝国はローソクの火が燃え尽きるように消えていった。
- 古代ローマの遺跡(ローマの中心部)BC8-AD5世紀
- 塩野著ローマ人の物語 元町図書館書棚
この15巻を読み終え、「感じたこと・思った事を」メモしておこうと纏めてみた。 何はともあれ、古代ローマ人の偉大さは、土木技術に優れていることである。
- アエリウス橋とフランジア街道。ハドリアヌス皇帝が着工、139年に完成。1892年修復時の写真。
- ローマ街道の現在。石で舗装され、両側の歩道を含め道路幅は10m以上。
- ローマ時代の本国イタリアにおける幹線道路。全ての道はローマに通ず。
国土拡大のため隣国に軍を進めるには、先ず、森を伐り開き、橋を架け、道を建設する。軍を進めながら将来の生活のインフラとなる完璧な舗装道路網を整備する。その上で国土防衛に全力投球する。定年で軍を退職する時にはその地に植民し、その地の女性と結婚し家庭を持つ。さらに、水道などのインフラを整備し、自らその地に根を張り、その地の発展に尽くすことである。
- 舟橋の復元模型。
- そのレリーフ 船上橋を多くの兵士が渡っている。
- 国境の防御線(リメス)の模型図。
古代ローマが世界帝国になった普遍的な要因は何であろう。
① 強力な軍事力:ローマは、優れた軍事力を持ち、広範な領土を征服し維持する能力があった。軍事的な優位性は、他の国々に対する脅威として機能し、ローマの支配を強化した。
② 効果的な行政システム:ローマは、中央集権的な行政システムを確立し、広大な領土を管理するためのインフラを整備した。道路、橋、水道などのインフラは、領土の統一と経済の発展に寄与した。
③ 法の支配:ローマは、法の支配を確立し、市民に公平な法律を提供した。これにより、市民の権利が保護され、社会の安定が図られた。
④ 多文化主義:ローマは、征服した地域の文化や宗教を尊重し、多文化主義を推進した。これにより、異なる文化が共存し、ローマの文化的な多様性が増した。
⑤ 経済的な繁栄:ローマは、商業と農業の発展により経済的な繁栄を実現した。貿易は、ローマと他の地域との結びつきを強化し、経済的な基盤を強化した。
これらの要件が組み合わさることで、古代ローマは世界帝国としての地位を築くことができた。特に、ローマ帝国の独創的なポイントには次の3点があげられる。
- 法の支配:ローマ法は後の西洋法の基盤となり、現代の法律システムにも影響を与えている。ローマ人は公平で普遍的な法律を確立し、これを全領土で適用した。法の支配は、帝国内の統一と安定の礎であった。
- 多文化主義:ローマは征服地の文化や宗教を尊重し、同化せずに共存する道を選んた。これにより、異文化間の摩擦を最小限に抑え、異なる文化が互いに影響し合いながら繁栄を可能とした。
- インフラ整備:ローマ人は優れた建築技術を駆使して道路、水道、橋、公共浴場などの インフラを整備した。これにより、都市の発展と経済活動の円滑化が図られ、住民の生活の質が向上した。加えて、これがローマの軍事力の増強に極めて大きく貢献した。
- ローマの栄光円形闘技場(コロッセオ)AD70-80に建設、5.5万人が収容できる。右の図はその内部構造。当時のハイテクが駆使され「パンとサ-カス」のサーカス部分。
しかし、盛者必衰のとおり、栄えるものは必ず滅びる。ローマは、5世紀中ごろ東方からのフン族の侵入を受け滅びる。
これとは別に、ローマ帝国の滅びた内部要因としては、次の5点があげられる。
・ 官僚制の発達 ・キリスト教の国教化 ・軍事力の弱体化 ・国民の政治への無関心
・財政力の衰退 これらの要因が複合的に作用し、ローマ帝国の滅びを招いた。
では、官僚制の発達は、ローマ帝国の統治機構にどのような影響を与えたか?
官僚制の導入
1.中央集権化の強化:官僚制の発達により、皇帝はより強力な権力を持つようになった。官僚たちは皇帝の命令を実行し、地方の統治を円滑に行う役割を果たした。
2.行政の効率化:官僚制の導入により、行政の効率が向上した。官僚たちは専門的な知識を持ち、各地の問題を迅速に解決することができた。
3.軍事と行政の分離:ディオクレティアヌス帝の改革により、軍事と行政の役割が分離された。これにより、軍事的な判断が政治に影響を与えることが少なくなり、より効率的な統治が可能となった。
4.地方の統治強化:官僚制の発達により、地方の統治も強化された。官僚たちは地方の問題を解決し、地方の秩序を維持する役割を果た。
これらの影響により、ローマ帝国は一時的に安定し、統治の効率が向上したが、長期的には官僚制の腐敗や財政の問題が深刻化し、帝国の滅びを招く要因となった。それにはキリスト教も大きくかかわっている。
ローマ帝国でキリスト教が広がり、古代ローマの神々を否定するようになった。
1. 内乱と不安定:ローマ帝国は3世紀から4世紀にかけて内乱や経済の不安定が続き、社会全体が混乱していた。
2.キリスト教の人気:キリスト教は多くの人々に支持され、特に下層階級や辺境地域で急速に広がった。
3. 皇帝の改宗:コンスタンティヌス1世がキリスト教を公認し、自身も改宗したことで、キリスト教の影響力が強まった。
4.宗教統一の必要性:異なる宗教間の対立を防ぐため、キリスト教を国教とすることで社会的な統一を図った。
これらの要因が重なり、キリスト教のローマ帝国国教化につながった。しかし、排他的で非寛容な一神教であるキリスト教の国教化は、内乱や非生産的な階級、僧侶・教会の増大など財政上の大きな負担となり帝国の崩壊を早めた。
最後に、古代ローマの歴史に貢献した9人の皇帝など を紹介する。
- スピキオ・アフリカヌス(大スピキオ)
- ユリウス・カエサル
- ハドリアヌス
- トラヤヌス
- セウエルス
- ディオクレティアヌス
- コンスタンティヌス大帝
- アウグストウス 初代皇帝。
- マルクス・アウレリウス
①スキピオ・アフリカヌス 第2次ポエニ戦争でハンニバルを打ち破り、ローマの勝利に貢献した。
②ガイウス・ユリウス・カエサル ガリア戦争での勝利や内戦での成功により、ローマの領土を拡大し、政治的安定をもたらした。
③アウグストゥス 初代ローマ皇帝として、ローマ帝国の基盤を築き、平和と繁栄をもたらした。
④トラヤヌス ローマ帝国の領土を最大に拡大し、公共事業を推進した。
⑤ハドリアヌス ローマ帝国の防衛を強化し、ハドリアヌスの長城を築いた。
⑥マルクス・アウレリウス 哲学者皇帝として知られ、内外の危機に対処し、ローマの安定を維持した。
⑦コンスタンティヌス1世 キリスト教を公認し、コンスタンティノープルを建設してローマ帝国の東西分裂を防いだ。
⑧ディオクレティアヌス 帝国の行政改革を行い、四分統治制を導入して統治の効率化を図った。
⑨セプティミウス・セウェルス 軍事力を強化し、ローマ帝国の安定を図った。
特に、カエサルの亡き後、次の2皇帝は、帝国の繁栄と安定に大きく貢献した。
アウグストゥス (紀元前63年9月23日 – 紀元14年8月19日)は、初代ローマ皇帝であり、ユリウス=クラウディウス朝の創始者である。彼はガイウス・ユリウス・カエサルの養子であり、カエサルの暗殺後に内戦を勝ち抜き、ローマ帝国を統一した。彼の治世は「パクス・ロマーナ」と呼ばれる平和と繁栄の時代をもたらした。
ハドリアヌス (紀元76年1月24日 – 紀元138年7月10日)は、第14代ローマ皇帝であり、五賢帝の一人。彼はトラヤヌスの拡大路線を放棄し、内政と国境管理に力を入れた。特に有名なのは、ブリタニアに築いた「ハドリアヌスの長城」であり、ローマ帝国の防衛を強化した。
なお、本文中の写真・図はすべて塩野著「ローマ人の物語」から引用しました。
以上です。ではまた!!