エジンバラ・湖水地方とリバプール・ソールズベリー・ロンドンなど英国の旅(1)

英国の覇権を確かにした、トラファルガー海戦(1805年)での勝利を記念した「ネルソン・モニュメント」。

2024.10.11~19 エミレーツ航空による「イギリスベストハイライト9日間」の旅に妻と二人参加した。今回は妻の要望であるが、その素晴らしい旅を私なりに満喫したので、そのハイライトを数回に分けてご紹介します。

【その1】スコットランドの首都エジンバラ周辺。

旅の始まりは10/11 千歳空港をPM4:35に飛び立ち成田に向かう。そして夜中の10:30 成田を発ち、翌昼には、乗り継ぎ地点「アラブ首長国連邦」首都ドバイに着く。そこで3時間かけて整備し、10/12  現地時間12:45  スコットランドのグラスゴー空港に着陸。千歳を発って丸1日の旅程である。

グラスゴー空港で成田で預けた手荷物を受け取り、参加者全員が集まり、添乗員に連れて入国手続きを無事済ませる。空港近くで待機していた専用バスに移り、約100km東に位置するのエジンバラに向かう。今回は、成田、関西空港の2箇所からの参加で総数19名である。参加者は日本全国より集まっている。

グラスゴーはスコットランド最大の都市で、人口63.5万人を抱える。中学時代の社会科で学んだように、グラスゴーはスコットランドにおける貿易と重工業(造船業)の中心地で大英帝国の発展に多大な貢献をしてきた。しかし、今では、文化、芸術の町へと変わりつつある。町には博物館やギャラリーがあり、人々は、アーバンライフを満喫しているという。

約1時間でエジンバラに到着。途中の車窓は一面に拡がる緑の牧場とそれを囲む灌木状の生垣(エンクロイジャー)が見られる。その中に放牧されたヒツジの群れが如何にも歴史ある農業国を感じさせる。僅か1時間でスコットランドの西から東、大西洋から北海までを横断したことになる。エジンバラは北緯56度、稚内より10度約1,000kmも北に位置する。

エジンバラは人口52.7万人で、スコットランドの首都である。歴史的な建造物が集まる旧市街と、18世紀以降、計画的に建設されたニュータウンとが見事に並び立ち、世界遺産に登録されている。「北のアテネ」と称され、世界中から観光客を集めている。               バスは、エジンバラ城のすぐ麓に止まり、全員下車。霧雨と横殴りの風の中を、1行19名は一団となって思い思いの服装で冷たい雨の中を断崖絶壁上に立つエジンバラ古城を目指す。この時期は、10日に8日は雨といわれる。あいにくの雨の中、世界遺産エジンバラ城の本丸の観光である。山頂には王宮広場があり、その周囲にはルネッサンス期に建設されたグレートホール、戦没者記念堂、スコットランド女王メアリーがスコットランド王でありイングランドの王であるジェームスを産んだ「メアリー女王の部屋」のある王宮がある。血生臭い事件の多いエジンバラ城のグレートホールには、今でも血の匂いがしそうな武具がこれでもかと展示されている。その城下に拡がる、ロイヤルマイル、ホーリールード宮殿、カールトンヒル・・・などよく管理された古い時代の建物など氷雨に煙る城下の街並みを約3時間半、乗下車を繰り返しながら専用バスで観光する。

夕闇迫る頃雨は止み、夕焼け空となる。夕日に輝くカールトンヒルからの景観は、北海に臨むエジンバラ城、それを囲む街並と遠い山々を幻想的に包み込み、落ち行く夕日に沈んでいく。暫くしてホテルに着く。隣は動物園という。明日の朝が楽しみだ。

今宵の宿は、最新設備で明るく快適な「ホリデイ・イン・エジンバラ」である。

ではまた!!

参考資料

スコットランド女王メアリー:スコットランド王ジェームス5世の娘。政争を避け、母国フランスにわたりフランソワ2世の妻となる。夫の病死後スコットランドに戻りヘンリー・スチュアートと再婚、次期イングランド王となるジェームスを生む。その後夫が暗殺され、スコットランドの王位をはく奪されイングランドに亡命。そこで頑強にイングランド女王を主張。最終的にはエリザベス(1世)に処刑される。その結果スペインとイギリスの戦争(アルマダ海戦)が始まる。エリザベスの死後、この悲劇の女王メアリーの生んだジェムスが、スコットランドとイングランドを兼ねる国王となった。