生家にて「名残の宴」を開く!

生家の居間より見る富士山

   我が青柳一族が、およそ250年間住み続けた現南アルプス市上市之瀬799番地ほか約千坪の居住地は、今年2月、建物共土地を購入したいという同県南部町出身の住人との売買契約が成立(2021.6.4)、我が一族の手を離れることとなった。

そして、新たな住人の配慮により、年度末(12/31)まで建物はそのまま温存させて頂いた。

そこで、文化の日(11/3)を目途に家・宅地を整理し、大げさに言えば、「城明け渡し」の準備を終わらせることとした。しかし、コロナ蔓延のため親族は集まれず、1カ月延期した。

 最終的に集まった面々は、現青柳家の長男正也、次男正英、次女蓉子、そして長女故民子の長男清さんに加えて、5代目当主松次郎の妹の嫁ぎ先である青柳家の3代目昌徳さんご夫婦の計6人であった。この顔ぶれは、青柳家では初めてであり、そして最後となるであろう集まりである。そんな状況下で2日夜から「名残の宴」が始まった。

居間の窓からは、頂から半分ほど雪を冠した富士山の雄姿が臨まれ、その北側には、夕日に映える甲府盆地の街並みが拡がり、日が沈むと、無数の電灯がともされ、一段と美しさを増し、満天の星空と一体化し、冴えきった冬の夜の景観を呈した。

参加面々のルートは、兄は大阪-名古屋-塩尻-甲府と木曾の山中を、妹は千葉流山から新宿-甲府へたどり、12月2日、兄妹は甲府駅にPM2時頃到着する。私は、前日に札幌-千歳-成田-錦糸町-お茶の水-新宿-高尾-韮崎と快速を乗り継ぎ一足早くやって来て掃除、料理の用意をする。朝夕は札幌と同じ位寒いが、庭には水仙、枇杷の花が咲いていた。

 2日、甲府駅での出迎えは、私と従弟(姉の長男)が、従弟の車で行き、駅北口で待ち合わせPM2:30には合流でき、帰りには小笠原で従弟の関係する「O店」に立ち寄り、今夕の料理の数々を買い求め、上市之瀬の生家に向かった。そして各自生家の周りを散策し、6時には昌徳さん夫婦が、大鍋一杯の「おでん」や香の物などを持って集まり「名残の宴」となった。      久々の顔合わせで、積もる話しは夜遅くまで続き、10時過ぎ、私と妹を残してそれぞれホテルや自宅に帰っていった。

 翌3日には、兄弟三人が菩提寺(妙了寺)の永代供養塔の前集まり、若い僧侶の読経により父の47回忌、母の17 回忌の供養を行った。

この後、昌徳さんから乗用車を借り、私の運転で青柳家の山林を見に出かけた。

 60年前は、これらの山林が我が家の金蔵であり、私達兄弟の学費のため多くの山林が伐採され、その跡に父と兄と共に植林した森林を主に見た。特にこの2~3年のうちに間伐した森林では、陽が地表にまで差し込み生々と育っていた。案内した森林は、私が単木択伐で選木し、我が息子に林業技術を教えてくれた秋山さんグループが伐採した。その息子は今は亡く、林内には明るく陽は差し込んでいるが、下草はシカが悉く採食し、シカの食べないテンナンショウやタケニグサ、トリカブトなどが枯れて僅かに残っていた。

 この後、近くの「県民の森」に立ち寄り「伊奈が湖」「展望台」に行った。山頂の展望台から甲府盆地を遠望した。足下から拡がる扇状地は、250年もの長きに亘り、我が一族の繁栄をもたらした地であり、そして今、消えていく運命にある思い出多き故郷である。持参した双眼鏡で各々が何度も何度もこのことを確認し納得して山を下りた。

甲府盆地西端の扇状地上に広がる我が郷里

生家で昼食を済ませ、午後には近くの親戚を周り別れの挨拶をした。次に近隣の私の友人河野宅を訪れ、別れの挨拶をし、庭に大きく実っているユズを兄弟3人でもぎ、各自の土産とした。その後、暗くなるまでご先祖様の肖像画やアルバムなどを消却し、永久の別れをした。

その夜は3人だけで仕事のこと、政治や優れた友との情報交換のこと、人生諸々について10時過ぎまで語り合い、兄は一人ホテルに帰っていった。翌4日、AM10時には新住人となる佐野氏が来宅し、兄弟と親しく話し合った。これもまた楽しい思い出となろう。

 昼食を済ませ、昌徳さんの車で12時頃家を出て甲府駅より各自帰路についた。兄は今度は身延線経由であった。妹はカイジの新宿経由で午後4時には自宅に着き、兄は午後8時過ぎに川西に着いた。これで念願の名残の宴は全て無事に終わった。

以上が、2021年12月2~4日に催した我が一族の「生家での名残の宴」の風景である。

追記

故郷を思う気持ちは人さまざまである。文部省唱歌「故郷」(ふるさと)は次のような歌詞である。

兎 追ひし かの山  小鮒釣りし かの川 

夢は今も めぐりて  忘れがたき 故郷

また、室生犀星は次のように歌っている。真逆なイメージである。

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

よしや うらぶれて異土の乞食となるとても

帰るところにあるまじや

ここで異土(いど)とは故郷(ふるさと)以外の土地のことで、乞食は(かたい)と読み、乞食(こじき)のことである。

私は文部省唱歌派である。

ではまた!

コメント

  1. 山根 より:

    良い集いでしたね

  2. 樋泉実 より:

    時空を超えての集まり、万感の思いだったでしょう。胸に沁みました。樋泉