半年ぶりの故郷への帰省

南アルプス市庁舎前から見る ふるさとの山 「櫛形山(2,052m)」

   4/21 半年ぶりに帰省しました。コロナの第3次緊急事態宣言の初日でした。  千歳発10:20 Jet Star.JAL他の共同運航便GK104は、満席で定刻の離陸でした。 晴れていましたが僅かに霞んでおり、機窓からは縞模様の樽前山、真っ白な羊蹄山が見えます。津軽海峡を越えると眼下には大きなパイプの下北半島が広がり、頭に雪をかぶった恐山、そばには小さな湖も見えます。

陸奥湾を覗いていたら6カ所村の石油備蓄基地や核燃料リサイクル施設が見えてきました。そして大きな湖「小川原湖」が現れ、目を上げると雪山の八甲田山、その奥には一際高く岩木山も見えます。次いで十和田湖、そして八幡平、岩手山、駒ヶ岳が飛び込んできます。更に南下すると、栗駒国定公園が、その遥か背後には鳥海山(2,236m)も見えます。更に下ると蔵王が見え、遠くには月山、朝日岳が白く輝いています。南下するにつれ段々霞んで解らなくなってきました。若い頃、登山や旅行で歩き回った山々のことを思い出しながら大パノラマに見とれていると、もう成田空港です。

成田には予定より早く着き、スカイライナーで日暮里まで行き、新宿で「カイジ」に乗り換えました。いずれの特急もガラガラで1車両数人の乗客でした。

生家に着くと、早速、屋敷内の草刈りです。今回は春も早いので雑草は僅かで、刈払機を使うほどではありません。 草刈りを早々に終え、自家山林の間伐跡の跡検に行きました。私が中学生の頃植えた杉、檜の約1.5Haの山林です。今では直径40cm、樹高35m、蓄積400m3/ha以上の立派な森林になっています。5年ほど前から間伐を計画し、自ら選木し、地元森林組合の知人Aさんに実施してもらいました。3年がかりでこの冬やっと伐採が終わりました。単木択伐が出来るというので期待していました。跡地を見てほれぼれしました。小型重機を巧に操作し、立木に傷を付けることなく丁寧に、しかも全林を均等に伐採してありました。

これで今回帰省した甲斐が有り、満足感で一杯でした。帰り際に隣接集落で今は無人と化した高尾の穂見神社に寄りました。そこには市の重要文化財の神楽殿とカラマツの天然木が生息しています。

ところで間伐ですが、3年前、ちょっと強すぎた間伐跡地にスギを樹下植栽したのですが、雪の少ない一昨年の冬、シカに喰われて全滅しかかったことを想い出しました。森林組合からは皆伐を奨励されたが、皆伐を止め高伐期の複層林を選んだことに満足しているのです。これは私が四手井先生から林学を学んだ成果です。皆伐してスギを植えていたら1.5haの森林がシカで全滅になったことでしょう。地域一帯には、シカが食べないニリンソウやマムシグサ、トリカブト等だけが芽吹いています。

周囲には、Aさんが手がけている間伐実施林が続き、林道沿いには材木の山が出来ていました。また、間伐実施林では、残された立木の幹にはシカの食害よけのナイロン網がデアーライン(シカの背が届く範囲)までに張られていました。

目立たないが、この様に山造りをしている「Aさんグループ」を見て本当に嬉しくなり、また明日も来ようと思いながら山を下りました。

4/25。塩山で目的の打ち合わせをすませ、自宅にもどり再び山に向かいました。持ち山周辺は海抜1,000m前後で、未だ山桜が咲いており、甲府盆地を挟んで対面には、富士山の雄姿が望めます。父と植林した中学時代が思い出され、しばし見とれていました。

何時見ても素晴らしい、わが故郷の富士のお山

うさぎ追いしかの山、小鮒釣りしかの川、夢は今もめぐりて、忘れ難きふるさと。

 いかに居ます父母、つつがなしやともがき。雨に風につけても、想いいずるふるさと。

 志を果たして、いつの日にか帰らん。山は青きふるさと、水は清きふるさと。

4/26。 8:25  南アルプス市庁舎前からの高速バスで新宿まで行き、午後七時には同じ道をたどって無事札幌に帰宅しました。バスからの故郷の山「櫛形山」の景色は、格別の趣がありました。高速バスの乗客は数名でした。こんな風にして無事、コロナ禍の中を駆け抜けて帰省してきました。

5/8  最北の稚内、そして根室でそれぞれサクラの開花が報じられました。

では、また !!

コメント

  1. 山根 より:

    間伐採 ご苦労様です。飛行機の中から写真取れるようになったのですね。

  2. 山根 より:

    故郷はいいですね
    間伐採ご苦労様です。
    飛行機内からカメラ撮影いいんですね